前回は一般職員の異動内示の話でした、今回は去年の幹部異動の内示がでた後の文章です。
ムットン調査団73 幹部異動
各位
昨日、幹部異動の内示が出たので、その日のうちに調査団報告を出そうと思ったのですが、昨日は夜に〇〇館の利用者懇談会に出席する仕事があったので書けませんでした。
今回の幹部異動の内示は大規模でした。事業部長もジャンレノ部長以外全員異動しています。Iさんはジャンレノという俳優に少し似ているんですよ。当人もそう思っていますので。
ムットン調査団所属の幹部も7割くらい異動になったと思います。我らの団長も異動になりました。
団長は「これからは疲れた時はアリナミンDXを、頭が痛い時はイブクイックDXを飲み、家でTVを見る時はマツコDXが出演しているものしか観ない」と言っています。さすがです、まさに、これからのデジタル社会の本質を見抜いています。
我が社のDXはもう安心です、まさに団長に金棒、虎に小判、Y部長にマタタビのようなものです。・・・ちと違うか
今回は私も異動になりました。
私は今回の異動でまたHさんの後任になりました。ここ十数年、Hさんの後任か前任なる異動が大半でした。なのでにHさんとは歓送迎会で4~5回くらい一緒になっています。
たまたまでしょうが、めぐりあわせでそうなる人っているんですよ。
話は変わりますが、かなり昔、異動の内示が出た後でメチャクチャ暗い気持ちにさせてくれた課長がいました。それはある課に異動する時の前任の某課長からの電話です。。
某課長は「大〇さん、すまないね。だけど俺は本当にほっとしてるんだ、一年で異動できたけど正直、この一年間つらくてつらくて、ここの仕事は本当にきつくて、つらいんだよ。俺は、どこかで事故にでもあって、足かなんか骨折して何か月か入院したいなんてずっと考えてたんだよ。そうすれば、この課はすごく忙しくて大変だから、入院中に絶対に他の課長が俺の代わりに来ると思うので、うまいこと事故で入院できないかなあ、そんなことを毎日考えていたんだよ、前任も1年で異動してるんだ。大〇さん本当に大変だと思うよ、すまないね、でも俺は異動できて本当に安心した」こんな電話をもらったら、正直、気分は最低になります。
まあ某課長は、こんな電話を私にしたことは、もう覚えていないと思います。
私はその電話を受けたあとに、友人の課長に、こんな電話をもらった、正直あそこには行きたくないと愚痴ったんです。
すると、まもなくして副区長から電話があり「大〇君。今回の内示で涙が出るほど喜んでいるみたいじゃないか」と言われたので、私は「副区長、お願いです1年で異動させてください」と頼みました。副区長は「馬鹿者、異動する前から異動のお願いをする奴がどこにいる」と怒られました。まあ確かにその通りです。
でも異動したら確かに大変な課でした。某課長は正直なんでしょうが、私を異動前から十分に萎えさせてくれました。でも、某課長のことは嫌いじゃないですよ、人間的に悪い人じゃないんで。
でも、私は2年間その課にいましたが、交通事故にあってまで異動したいとは思いませんでした。
某課長もとっくの昔に退職しています。この某課長の電話の内容は結構、衝撃的だったので今もはっきり覚えています。ずっと忘れられないですね。
異動は本当に皆さんも、いろいろあるでしょう。全て経験だと思って頑張りましょう。
あと一週間で今年度も終わります。
年度末は落ち着かないですよね、異動の準備を始める人や引継ぎをしてる人、課や係の新体制をどうなるのか、自分の仕事の分担は変わるのか?
辞めていく人も寂しさが、ぐっとこみ上げてくる時期でしょうか。
異動があっても、なくてもソワソワします。
多分、みんな何かしらの不安な気持ちになるんだと思います。
やっぱり春は卒業式、入学式、就職、退職、と感傷的な季節ですね
♪春なのに、お別れですか♪ 気が付けば柏原芳恵の歌を口ずさんでいました。
では、また
ムットン調査団74 Y部長は健在です
各位
今日、ある職員から「Y部長は退職して完全に辞めるのですか?」と聞かれました。
団員の皆さんの中にも、そう思った人がいると思ったので急遽お知らせしておきます。
皆さん、心配御無用、Yさんは4月から外郭団体に就任予定です。
四月以降にYさんを見かけたら「いよっ〇〇長」と声をかけてください。その掛け声でYさんは大見得を切ってくれるはずです。
このお知らせだけを書くつもりでしたが、少し短いので、もう一つ加えます。
時間がたつのは早いものです。ちょうど二年前の今頃、私の退職で送別会はホテルで120人くらい集めて開催予定でしたが、コロナで中止となりました。
この送別会は金曜でやるならこの日しかないだろうという日でした。
当初は大規模な送別会はやりませんと言っていたのですが、村〇係長が事業部長が退職するのに、部の庶務担として、やらないわけにはいかないと言われて、やることになりました。
やるなら、この日と言ったら、村〇さんが「その日はSN部長の送別会とかぶるから別の日にしましょう」と言ってきたので。
私は「同じ日で構わないよ、行きたい方に参加すればいいじゃん」と押し切りました。
当時、どちらに出るかで迷わせた人ごめんなさい。
結果、私の送別会もSNさんの送別会もコロナで中止になりました。
私の送別会ですがホテルから三割のキャンセル料を要求されましたが村〇係長の粘り強い交渉で無料にしてもらいました。
この二年間、コロナの2年間でした。早かったような、長かったような。
当時、同期会など他にも5つくらいの送別会がキャンセルになりました。
そんな中で唯一開催されたのがポンちゃん会でした。
幹事さんが予約した場所は広いビルの屋上、客は私たちだけ。ストーブがたかれていましたが寒かったです。密も避けて出来た送別会。
すごい場所を幹事さんは見つけてきてくれました。感謝です。
ポンちゃん会は私が人事課長の時の私と人事課の部下有志の会です。
当然、ポンちゃん会が発足した時は管理職は私一人でした
メンバーは私の他に12人でした。その中から今では管理職が8人になっています。
この中に会の名前になっているポンちゃんがいます。ちなみに私はポンちゃんではありません。誰がポンちゃんかは想像におまかせしますぽん。