ムットン調査団268、高齢者施設5アルバイト賃金

各位

高齢者施設シリーズも、いよいよ大詰めを迎えてきました。

4月に異動してから、数々の嫌がらせを職場全体から受けており、小さな事件を数えれば数十は軽くあったと思います。大半は些細な事なのでもう忘れてしまいました。

そんな些細な事の一つ一つを当時、高齢者施設の職員は役所に行った時に、所長(高齢者福祉課長兼務)に報告をしていたのです。

例えば、私が手続きをして購入した高齢者のリハビリ用のベルが届いたので、段ボールをあけてベルを取り出し、どんな音がするのか軽く振って音色を聞いてみました。

その時は「ベルなんか鳴らすんじゃないと」言われただけです。もっとも私にすればベルが届いて音色を聞くのに1~2回鳴らして何が問題なのですか?と言いたいところです。日中事務所は数名いるだけで、利用者の区民もいない状況ですよ。

これが課長のところには、私が高齢者用のベルを事務所で鳴らしてずっと遊んでいるのでうるさくて仕事が出来ない。注意をしたら、やっとやめたになるんです。・・・この件は後に課長から聞かされて判明したので覚えています。

そして、私にとってはとどめの事件がおきます。

その出来事は確か2月だったと思います。高齢者施設にはアルバイトを1名おり、アルバイト賃金の支払いは私の担当でした。

当時は毎月、アルバイトが働いた日数を確認し金額の請求書等の書類を作成し人事か出納か覚えていないけどその書類一式をだすと、毎月賃金を払う日に人事から「アルバイト賃金の用意が出来たので取りに来てください」と私に電話がありました。その電話を受けたあと私は自転車で役所に行き賃金を持って帰り、アルバイトに渡していました。

その月は、たまたま人事から連絡がなく、夕方アルバイトが帰る時に賃金をまだ取りに行ってない事に気づきました。

すぐ人事に電話しアルバイト賃金の用意は出来ているのか確認しました。人事の担当者が私に連絡をするのを忘れてしまったのですが、まあ気が付かなかった私にも責任はあります。

高齢者施設から役所まで自転車なら往復10分あれば大丈夫なので、アルバイトにこの後、急いで帰る必要があるかを確認し、「10分待ってくれ、すぐに戻るから」と言いました。

この時、施設の職員たちの目が輝いてしまったのです。つまり、私のミスを発見したわけですから、これでまた課長によい告げ口が出来ると思ったんでしょう。

そして何と誰が言い出したかは覚えてないのですが、「みんなでお金を出し合ってバイトの賃金をだそう」と言い始めたのです。

私はみんなに言いました、「今自転車を飛ばせば10分あれば戻ってこられるので賃金も払えます、そんな事はしないで下さい。絶対にしないで下さい」と念を押して言いました。

そのくらい言っておかないと、彼らは私のミスをより大きくするために、やりかねないと思ったからです。

アルバイトの方も「別に急いでいないので明日でもかまいませんと」言ってくれましたが、10分で戻るから待っていて欲しいと言って、了解を取りました。

そして、自転車を飛ばして役所にいき賃金をもらい、高齢者施設に戻るとアルバイトがいません。

その間10分ですよ。私「はアルバイトの方はどこにいるんですか?」と聞いたら

なんと、なんと、「職員がみんなで金を出し合って、アルバイト賃金を払ったから、もう帰ってもらったよ」と言うではありませんか。

こんなこと普通やりますか?しかも職場ぐるみで、ありえませんよ、こんなこと。

あれ程、しないでくれと言った事をわざとやったんですよ。

私に対する嫌がらせ以外の何物でもないでしょう。

心の中は「ふざけるな!馬鹿野郎、くそくらえ、てめえら、いい加減にしろ」

なんだかみんなの目が意地悪そうに笑っていたような気もします・・被害妄想かもしれませんが。

なんかもう脱力感というか、怒りを通り越して虚しさや悲しみがこみ上げてきました。勿論、平静は装っていましたが。

こんな職場には、もういられない。もう限界だと思いました。

まあ、きっと役所に行った職員が高齢者福祉課長に対して私が大チョンボをしたと報告することは、過去の経験から火を見るよりも明らかでした。

S係長もその日は私には、それ以上何も言いませんでしたが、この事件がこの後の事件?への導火線となったのです。

次回は高齢者施設シリーズの決戦編です これは見逃せませんね

さあ、大〇青年の運命はいかに!

んじゃ またね

ムットン調査団267高齢者施設4霊安室

各位

前回は静岡県知事選挙について団長が燃えていたので高齢者施設シリーズを中断して書きました。今回は高齢者施設シリーズに戻ります。

高齢者施設シリーズは段々とえぐい話になっていきます。

この高齢者施設には男女それぞれ大きなお風呂がありました。もちろん無料で入浴できます。したがって近所の高齢者はもちろん区内全域から高齢者が大浴場目当てでやってきます。区内を走る無料バスも全てこの高齢者施設に来るように運行されていたので、お風呂は大盛況でした。みんな大きなお風呂は大好きですから、しかも無料です。

そんなお風呂で事件が起きたのです。

ある冬のお昼ごろだったと思います。施設利用者の男性が1階の事務室に来て「お風呂の浴槽で男性が浮いていて動かないよ、死んでるんじゃないか」と言ってきました。

看護師がすぐにお風呂場に向かいます。その場で心臓マッサージに人工呼吸を何度も試みますが駄目でした。

救急車もほどなく到着して、その男性を車内に入れた時、救急隊員が「誰か一緒に乗ってください」と言ったらS係長がすかさず「大〇君、君が乗れ」と言ったのです。

私は「看護師のAさんが乗るんじゃないんですか?」と言ったのですが

「つべこべ言わずに早く乗れ」と言われ、何で俺?ここは看護師でしょ、訳わかんねえと思いながら乗りました。

救急車は某大学病院につき、医者による死亡が確認されたあと、遺体は地下の霊安室に運ばれました。私は遺体と一緒に霊安室で待たされることになりました。

大学病院の遺体霊安室なんて初めて入りました。そこには遺体と私の二人だけです。

何とも変な感じです、私はその亡くなった方を全く知らないんですよ。

看護師や長く高齢者施設にいる他の職員なら知っている人も多かったと思いますが私は見た記憶もない男性でした。

何で俺がここにいるんだ、なんでS係長は俺を救急車に乗せたんだ、絶対、人工呼吸までした看護師が来るべきだったんです。

すると警察官2名が突然現れて、来たと思ったらすぐに私を質問攻めにするんです。

私に名前、住所、電話番号、本籍、筆頭者、家族全員の名前、私の職業、いつ役所に入り今何年目なのか、今の仕事の内容、その前の職場の仕事について、今の住所には何年住んでいるとか、家族の職業など とにかくものすごく細かい事を聞いてきます。

俺はただ救急車に同乗しただけなんですよ。

警察の手順なのかもしれませんが、私や家族の個人情報を何でそこまで聞くんですかね。

まるで被疑者のような質問責めにあいました、私は高齢者施設の職員で救急車に同乗しただけだと言っているのに、結構きつい取り調べが続きました。

やっと警察から解放されると、次は大学病院の看護師が着て、売店で浴衣を買って、遺体を浴衣に着替えさせてくれと言うので、私は「ちょっと待ってください私は親族でもなんでもないので、それは出来ない」と言うと。「だったら早く親族の人に来てもらうように、それまでは帰らないように」と言われました。

まだ携帯電話がない時代なので病院の公衆電話で高齢者施設に電話をして、一刻も早く親族を大学病院にくるように要請しました。

霊安室に戻ると、今度は葬儀業者が来ました、大学病院と提携している葬儀業者だと言って葬儀の手配の話をしだすので「すいません、私は親族ではないので何もできませんので、親族が来たら交渉してください」とまた同じことを言って断りました。

地下の霊安室で知らない老人の遺体と二人でいるというのは何とも落ち着かないものです。

遺体と一緒に二人でいるという経験は生まれて初めてだし、ましてや知らない人と沈黙の中でゆっくりと時間が過ぎるわけです。まあご遺体には申し訳ないが不気味で少し怖かったです。

そのうち、もう一体、血だらけの遺体が裸で運びこまれてきて、近くに血だらけのズボンやシャツも置いてあり、多分交通事故の遺体だと思いました。より不気味な感じで、ますます、その部屋から出たくなるのだけど親族は来ない。

高齢者施設の利用者なら家はこの病院からも近いはずである。奥さんやお子さんがいれば、もう着いていいのに、一向にこない。

高齢者施設に電話したら、奥さんはいるんだけど別居していてもう関係ないから来る気はないと言っているとの事。冗談じゃない親族が来ないと私が帰れないんです奥さんを説得して何が何でも病院に来てもらうように頼みました。

しかし、待てど暮らせど奥さんは現れません。高齢者施設に何度電話しても無理との事。

まじ、施設の職員はまともに奥さんの説得してるのかと疑問に思い、もう私がかけるしかないと思い、私が奥さんの電話番号を聞いて、かけました。

最初は確かに、「あんな人は私と関係ないので行きません」の一点張りでしたが、私も「奥さんが来てくれないと私が帰れないのです、奥さんがまず来ること、その上で関係ないと言うなら、病院の人にそう言ってください、長いやり取りでしぶしぶ来てくれることになりました。」

実際にきたのは、その後だいぶたってからです。もう夜になっていました。やっと来たのでほっとしたのと、とにかく疲れました。

奥さんが来たので施設に電話したら、何とみんな帰ってしまっていて誰も電話にでませんでした。「はあーふざけんなよ!」です

そもそも、なんで俺一人を病院にいかせて誰もこないんだ、普通応援に誰かよこすとか、交代するとかするよね、奥さんの説得もまともに出来ない、でもって帰ってしまう。

俺は病院の地下の霊安室に知らない爺さんと丸一日いたんだよ、警察の尋問、葬儀屋や病院との折衝、奥さんの説得。怒りだけがこみ上げてきました。「やってられねえよ、あんな奴らと一緒に仕事なんか」

やり場のない怒りを、どこにもぶつけられなかった。多分あの頃の俺は日々の怒りや憎しみを心の中にしまい込み、そのはけ口を求め心は出口のない迷宮をさまよっていたのかもしれない。

まあ、直接的ないじめではないけど、思いやりゼロの記憶に残る事件でした

事件はまだ続くよ

 

 

ムットン調査団266、知事選で団長が燃える

各位

本来ですと高齢者施設シリーズを継続して載せるところでしたが、今回は中断して団長が燃えている静岡県知事選挙について書きます。

団長がなぜ静岡県知事選挙で燃えているのかを探ってみました。

静岡知事選挙は来月9日に告示、26日投開票が正式に決定されました。

団長自身は埼玉に住んでいるので投票権はないのですが故郷静岡がどうなるのかは気が気でないようです。

現在の静岡県知事の川勝氏はここ数年テレビにニュースでもよく出てくるので皆さんもご存じの方が多いと思います。

特にリニアモーターカー静岡県内での工事は認めないことで有名になりました。最近もJR東海リニアモーターカーの東京、名古屋間の開通が大幅に遅れると発表したのは記憶に新しいところだと思います。

川勝氏は京都の出身で早稲田大学を卒業後も大学に残り早稲田の教授になりその後も他の大学の教授や学長などを歴任したあと平成21年に静岡県知事になっています。

その後、現在に至るまで知事を務めており4期目になっていました。

まあ、リニアモーターカーの工事を認めない理由として川の水量が減るからだと言っていました。でも本当は静岡県内にリニアモーターカーの駅を造らなかったことに腹を立てていたんじゃないかと私は勝手に想像しています。

国民の一人として思うのは早くリニアモーターカーを開通したほうが日本のためだと思います、静岡県民の立場に立つと微妙ですね、リニアモーターカーに素通りされてしまうんですから。そんな知事が先日、県の新人職員の入庁の式典で差別発言をして辞職することになったのはご存じの通りです。

記者に辞職を決めた後で、今の心境はと聞かれた時に「散りぬべき 時をしりてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」と細川ガラシャの辞世の句を読みましたね。このあたりは学者出身の片りんをのぞかせていましたね。

さて話を団長に戻しますね、団長の静岡愛はつとに有名ですが、いつもの静岡県知事選挙ならこんなに燃えません。

辞める川勝氏は京都の出身で高校までずっと京都にいたので団長にとっては無関心な人なんです。

ではなぜ今回の静岡県知事選挙に限って団長が並々ならぬ興味を示し、燃えているのかを考えてみました。

現在のところ二名がすでに立候補を表明しています。

一人目が大村慎一元総務官僚です。静岡市生まれで県立静岡高校出身、東大経済学部卒です。

まあ地元静岡の生まれで問題なさそうですよね。

問題は二人目の候補者です。前浜松市長の鈴木康友氏です。

静岡県浜松市生まれ、浜松市立の小、中学校を経て浜松北高校出身、慶応義塾大学法学部政治学科卒業です。松下政経塾をでて衆議院議員を経て浜松市長になり市長を4期務め退任。

そして今回、知事選への立候補を決めたみたいです。

鈴木氏は市長時代の最大の後ろ盾だったスズキ自動車の鈴木修相談役や自民党県議の重鎮らと会談し支援を求めたそうです。

大村氏、鈴木氏とも「オール静岡」を目指しています。

焦点となるのは自民党の対応だそうです。自民党内部ではこのままいけば「自主投票」になるのではとの見方が広まっています。

自民党関係者によれば「まずいことになった。大村氏と鈴木氏のガチンコ選挙となれば、静岡と浜松の経済界の戦いになってしまう。自民党分裂選挙になりかねない」と危惧しています。

場合によっては自民党の大勢がどちらかにつくかもしれないそうで、そこがポイントでさらに連合と公明党の動向によっては、どちらかが撤退するかもしれないと見ているようです。

団長目線で見ると、浜松市出身の鈴木氏と静岡市出身の大村氏ですから宿命のライバル市です。県内の政令指定都市同士の争いです。

浜松市の人口は県内最大で79万人です対する静岡市は67万人です。まさに静岡県内の竜虎の戦いです。

これだけでも浜松市民対静岡市民になります。さらに二人に出身高校が県内のトップ争いをしている浜松北高校対静岡高校です。

団長にとっては、ここが一番燃えるポイントです。団長の母校、浜松北高校は絶対に静岡高校に負けるわけにはいかないのです。

浜松市静岡市の戦いでかつ浜松北高校対静岡高校という団長にとってこれ以上ないくらい熱い血潮を燃え滾る戦いなのです。ついでに言えば大村氏は東大出身です、白門の団長にとって東大の赤門、これまた負けられない相手なんです。

団長にとってここまで燃える選挙はありませんでした。

団長は毎日「負けるな浜松市、勝つぞ浜松北高校、くたばれ赤門」と唱えてから寝ているそうです。団長の気迫が伝わってきますね。

団員のみなさんも団長に会ったら「浜松は負けませんよ、頑張ってください」と声をかけてください。

これで静岡県知事選挙の今の状況と団長の気持ちはわかったでしょうか。

このあたりをおさえておけば、今後の静岡知事選挙がぐっと身近で楽しいものになりますよ。今回は団長が燃える静岡知事選挙の謎を探ってみました。

んじゃ。

ムットン調査団265、高齢者施設3いじめは続く

各位

小学校、中学校、高校、大学、そして役所に入ってからこの職場にくるまでは、いじめというものをされたことはありませんでした。

いじめられそうな時はうまく回避して切り抜けてきました。

いじめる側になったことも一度もありません。

そんなわけで、いじめとは無縁に過ごしてきた私が人生初めてのいじめをこの職場で経験することになったのです。

ただS係長をはじめ、他の職員達に私をいじめていると意識があったのかは、わかりません。S係長などは無意識で結果的に私をいじめていたんでしょう。

今回は高齢者施設シリーズ3でいきます。

高齢者施設での思い出はたくさんあります。

今日は月に1回ある館内清掃日の話をします。高齢者施設では月に1回館内清掃日を設けており、その日は休館日にしています。

この日は職員が全員で館内一斉清掃を行うことになっており、まず最初に朝の全職員ミーティングでS係長が職員に分担する階を割り振るところから始まります。

その月も、いつものように割り振りが始まり「AさんとBさんは1階、CさんとDさんは2階」と言う具合に5階までは二人でワンフロアを担当、そして最後に「大〇君は6階と7階を担当するように」

「えっ、ありえない」みんなは二人でワンフロアで私だけは一人でツーフロア、これはどう考えても(いじめ)そのものでしょう。ワンフロアを一人で担当する職員が何人かいるように割り振るのが常識で一人の職員にツーフロアは絶対有り得ないでしょう。

こんなに分かりやすいやり方でやってくるんだから、あきれてしまいます。

まあみんなもそう思ったんでしょうけど誰も何も言ってくれないし、期待すれば余計自分が傷つくので、理不尽と思いながらもグッと飲み込んだわけです。なので、諦め気分で黙っていました。

もしも、この時に私がこの分担はおかしいと思うと言ったら、ここぞとばかりに私を攻撃してきたと思うんです。

その手には乗るもんですか、ここはぐっと怒りを鎮め、自分の中にしまい込みました。

それが、面白くなかったんですかねえ。係長のほうから私にちょっかいをかけてきたんです。

S係長が「大〇君、ちゃんと掃除したかどうかは、すぐわかるんだからな。机の上とか窓の下とか、後で指でなぞって埃がついているかどうかでわかるんだ、しっかりと掃除をするように、さぼったりしたら、わかるんだからな」

ここまで言われるとは、ずっと耐えて我慢して黙っていたのに、さすがに我慢の限界を超えています、私はここで感情を抑えて反論しました、ただしフロアの配分については何も言いませんでした。

「S係長、今日は館内一斉清掃の日ですよね、机の上とか床などは毎日委託業者が清掃することになっているので、そもそも机の上に埃がたまっていたら、おかしいのではないでしょうか?さらにうちには用務職の正規職員が2名いますよね。この2名の用務職員は委託の清掃以外の施設全体の用務を行っており、机の上の埃なども気づいたら、すぐに綺麗にしなければなりません。

そのうえで、もしそのような状態になっていれば私は勿論清掃しますが、業者に申し入れるべきです。したがって今日は普段、清掃委託業者が掃除をしていない電球の傘や棚の上、倉庫の中などを重点的にやるのではないでしょうか?」と言ったら。

案の定です。S係長は完全にブチ切れました。「大〇君、君は掃除をしたくないから、そんな事を言っているんだ、くだらない屁理屈をこねてるんじゃないよ。私がやれと言ったら黙って掃除をしろ」この後も延々と怒鳴り、わめいていました。

この事件も強烈な印象があるのでS係長の言った言葉をはっきり覚えています。その後、説教部屋でまた「大〇君、君は庶務担としての自覚がたりない・・・・」。

まあ、これ以上言っても無駄なので、諦めて黙々と2フロアーを清掃しました。あの係長ならそこら中、後でチェックしかねないと思い2フロアを磨き上げました。

もちろん机の上も全部拭きました。そのうえで電器の傘など普段掃除しない場所なども丁寧に全部掃除をしました。何しろ私は一人で2フロアを掃除しなくてはならないので当然時間もかかります。まあ、でも頭にはきていましたが意地になって掃除は必至にやりました。

私がヘトヘトになって一階の事務所に戻って来た時は、他の職員は全員終わっていて談笑したいました。

みんなお茶しながら、くつろいでいました。多分、私が掃除をしていた時間の三分の一くらいの時間で終わっていたんだと思います。

まじ、むかつくし心が折れそうになります。一番むかつくのはS係長ですが、状況がわかっているなら、他の職員も少しは手伝えよと思いました。

職場にいる全員が敵のような感じがしました。こんな状況がいつまで続くんだ、俺は潰されずにこの職場にいられるんだろうか。

怒りと不安が入り混じった、複雑な心境でした。

でも、こんな事では負けていられません、まだまだイジメは続きます。

 

んじゃ、またね。

ムットン調査団264、高齢者施設2いじめが始まる

各位

高齢者施設に異動してすぐから、すぐに残業続きになってしまいましたが、まあそこは根性で何とか切り抜けました。

この施設は7階建で、ビル一棟がすべて高齢者施設でした、

一人で残業していると、その建物に自分一人しかいないので、そこが嫌でしたね。

まあ気にならない人は何でもないんでしょうが、高齢者施設ですから、まあ、いろいろあるんです。

なので大きな建物の中に夜自分一人でいるのは、あまり好きじゃなかったですね。

でも、残業しなければならない時は嫌だなんて言っていられません。

私は他にも出先職場は何回も経験しましたが、この高齢者施設以外の職場の建物は上層階は住宅などになっていて単独の施設ではなくて複合施設でした。

他の施設の話はどうでもいいですね。

さて、そんな高齢者施設の職場の事務所にはなぜか蚊がいつもいて、異動当初からよく刺されたし、よく手で、たたいて駆除していました。

私はすぐに蚊取りベープマットの機械とマット1袋、全部で合計せいぜい2~3千円だと思うけど、すぐに発注しました。

それから1週間くらいして、前の職場の上司の係長が「大〇君、心配なので連絡したんだけど、高齢者施設で大〇君の上司のS係長が大〇君が俺に無断で需用費を勝手に買いあさっている、けしからんと役所中で吹聴してるとの事」

えっ、びっくりです。まさかそんなことをS係長が言っているとは。 私は「蚊がたくさんいてベープマットを買っただけです、ご心配かけました。そんな話になっているのなら以後鉛筆1本買う時もS係長の許可を取ります」と返事をしたら、前の上司も「そんな事でS係長は言っているのか大〇君も大変だと思うけど頑張ってくれ」と言われたことまだ覚えています。湯〇係長ありがとうございます。

さて蚊の話の続きですが、発生源は隣接している公園であることがわかったのですが、公園の蚊の除去は高齢者施設の委託業者の管轄外、用務職員もやる気なし。私は保健所に相談し蚊の殺虫剤の原液と噴霧器を借りてきて、一人で公園の蚊の除去をしました。

後で矢部君が「大〇さんが公園で蚊の駆除をしてる時、S係長が職場のみんなに「あいつ一人であんな事していると言って、みんなで馬鹿にして笑ってた」と教えてくれました。この話を聞いた時もカチンとしましたが、まだまだほんの序の口です。

私の仕事は高齢者施設の管理全般、つまり予算決算、委託契約、物品購入、支出命令書の作成等まあ一般的な管理事務全般の仕事が、私の事務分担上にも書かれてあった仕事です。

しかし、現実はそれだけではありませんでした。S係長は「大〇君、1階から7階の自動給茶機、ちゃんとまめに見て、出がらしにならないように頻繁に葉の入れ替えをするように」

えっ、それ俺の仕事か?暇そうな用務さんが3人いるのに。俺は矢部君に前から給茶機の葉っぱの入れ替えは事務がしていたのか?」と聞くと矢部君は「今まで事務は給茶機の葉っぱの入れ替えなんてしたことない」との事。これは俺への嫌がらせだなと確信しました。とにかく、用務の3人はいつも暇そうにしていて、やる事がなくて暇を持て余してる感じなのにS係長は私には本来その人たちがやるべき仕事をわざと次から次へと押し付けてくるんです。地下の汚水タンクの場所にもよくいきました。まじ臭いんだけど、タンクの蓋をあけて何か点検してた記憶があるんだけど何をしていたのかは忘れました。

また、ある時トイレの床のタイルが欠けて、はがれたので、早速業者に連絡して見積を取りました。その日はS係長は休みだったので翌日業者の手配も済ませたことを報告すると。S係長は顔を真っ赤にして怒りだしたんです「勝手な事をするんじゃない、トイレの床のタイルくらい自分で直さなきゃ駄目だ。業者に取り消しの連絡をしろ」とたいそう怒ってました。その後、私はトイレのタイルを材料を買って私が日曜大工仕事をして直しました。しかし、何でトイレのタイルを直すのも俺がやるのか腑に落ちませんでした。絶対に俺の仕事じゃないと確信しながらのタイル張りの仕事は忘れません。

その事件から数週間後の事です。どこが壊れたのか忘れましたが、またS係長が休みの時に壊れたのですが、前回の事があったので業者には連絡せず翌日S係長に報告したらS係長が「何で君は業者にすぐ連絡して、なおす手はずを整えておかないんだ、君は庶務担としての自覚が足りない」とマジ切れしてました。私はそれこそ、はー何言ってるんだ、ついこの間、真逆の事言っただろう、ふざけんなと思いましたよ。この一件も鮮明に覚えています、こんな理不尽あるのかと自分の中でやり場のない怒りに震えてましたから。

S係長が私に説教する時は一階の事務室でなく二階の個室で何時間もやるのです。必ず言う言葉は「君は庶務担としての自覚がたりない」

この一回数時間にわたる説教が週に何回もあり、大抵は難癖です。小さな個室でいわば、説教部屋です。何度も何度もやるんだから、よく耐えられたと思います。

さて私の敵はS係長だけではありません。私がいた高齢者施設は私の所属していた管理係のほかに、もう一つ事業係がありました。

事業係は福祉の専門職の集団で私に「事務は我々が仕事しやすいように、こちらの要求通りに動いてくれればいいんだ」と言うので、私は「それは違う、管理と事業は互いに助け合い知恵を出して仕事を進めるもので、一方的に要求されるままに仕事をするものではないでしょう」と言ったので事業係の専門職は面白くなかったのでしょう。専門職集団の彼らは自分たちはこの施設開業以来ここで仕事をしている、異動したての何も施設の事などわかっていない若造を生意気だと思ったのでしょう。その結果、事業係と管理のS係長が一緒になって私をいじめてくることになったわけですよ。

いじめは小さいことから大きなことまでしょっちゅうでした、小さなミスを見つけるとS係長だけでなく、事業係の職員まで役所にいった際に必ず所長兼務の高齢者福祉課長のところに行って私の悪口をわざわざ言ってくるそうです。矢部君が教えてくれました。矢部君はおとなしい性格なので事業係にものを言ったりしないので、いじめの対象にはなっていませんでした。

今回はこのへんで いじめはまだまだ続くよ

んじゃね

 

ムットン調査団263、高齢者施設1

各位

4月もようやく第一週めが終わり少しだけ落ち着いてきた感じですかね。

今回は過去の文章です、過去の文章の中には、内容も多くて一回では終わらず何回かに分けて書いたものがあります。そんな中の一つが高齢者施設シリーズです

昔まだ平職員の頃の話で4月に高齢者施設に人事異動になってからの、辛い出来事を書いたものです。

各位

私の高齢者施設への異動、それは新人の時、配属された出先の出張所から庁内の教育委員会〇〇課をへての異動になりました。

3か所目の職場であって、すでに2か所目の庁外職場でした。

役所に入ってから退職するまで一回も出先に配属されることなく退職する職員も多い中で入ってから3つ目の職場がすでに二回目の出先職場は、まあ普通ではないですよ。

出先職場を希望していたのなら別ですが、私は一度も希望したことはありません。

今回は高齢者施設での出来事なので、これ以上人事異動のことは書きませんが、私はこの先40歳くらいまでの間にさらに2回の出先職場に異動することになります。

そんなわけで、私はこの人事異動に対して期待に胸膨らませる訳もなく、当たり前ですが、この異動に対し大いに不満で納得のいかない気持ちでした。

しかし、そこはもう子供ではないので、異動したからには気持ちを切り替え、無理やりモチベーションを高めて新たな職場で頑張る覚悟でした。

当時は異動する職員は4月1日に全員集合して辞令交付が行われました。

その際に全員辞令書が渡されます、その辞令書をもらった職員はその紙を持って役所中を回って挨拶をするのが慣例となっていました。

出来れば、そんな事をしないで高齢者施設にそっと行きたい気持ちでしたが、世話になった人達もいるので、そこは当時の慣例に従い挨拶回りをしっかりとしました。

その時に私に声をかけた人は、もう何十年も前の話だから何も覚えていないと思いますが、私はKさんが私に「何か悪い事でもしたの?」と笑っていたことを覚えています、他の部署に行っても行く先々で、「何でまた出先に行くんだ、その高齢者施設を希望したの?」とか、「何をしたんだ?」と、そこらじゅうで似たような声をかけられ、心が少し折れそうで、かなりへこみました。

まあ普通に考えれば、みんなが「何でまた出先に行くんだ、希望したのか」と思うのは妥当だったんでしょう。

あの時は人事は自分の希望を少しも聴いてくれないんだと思いました。

それでも、私は何でもないですよという顔しながら各階を全て周りました。

泣きたい気持ちを抑えて、何でもないと笑顔で回った挨拶は私にとってのギリギリのプライドだったのかもしれません。

そんな辞令当日の儀式も終わらせ、私は高齢者施設に向かいました。

当時の高齢者施設の所長は2年前に都から管理職昇任で来た人で、私が人事異動で行った4月には高齢介護課長との兼務になりました。所長は引き続き同じ人だったので高齢者施設の職員達は私以外全員、その所長をよく知っていました。

ただし、その所長は高齢介護課長との兼務になったので高齢者施設には、私が来た4月以降はほとんど来ませんでした。

そこで庶務担係長である管理係長のSに対して実質的に施設の仕事の全権委任をしたのでしょう。

高齢者施設には管理係と事業係という2つの係があありました。

私が配属されたのは管理係です。管理係はS係長をトップに事務は私ともう一人早稲田の法学部をでた新規2年目の(仮称)矢部君、あとは受付その他をやる用務系職員3名がいて全部で6名でした。ちなみに管理係はこの時の4月異動で主査1名と事務1名の合わせて二名が本庁に異動しており変わりに来たのは私だけなので、人員は事務1名減となっています。

事業係は係長の下に高齢者施設開業当時から一度も異動していない福祉職、看護師、なぜか授産指導もいて5~6人いたかな。高齢者の区民の方を対象にして、歌や手を動かすリハビリ運動などを定期的に行ったり、ゲートボール大会、運動会その他各種の事業を中心に仕事をしていました。

床や机、トイレ、お風呂やトレーニングルーム、ビリヤードや将棋をする部屋など館内の清掃や機械運転などは外部委託業者が常駐しており、日中、常に行っていました。

ちなみに異動先に知り合いは一人もいませんでした。出先に異動して知り合いがいないのは、やはり少し寂しいもんです、気分的には新人のようなものです

私は年齢が一番近い矢部君とはすぐに友達になり、仕事は勿論、プライベートでも彼とはよく遊びました。

またこの高齢者施設はよんぱち勤務と呼ばれる勤務形態でした。よんぱちとは週48時間勤務する事業所のことです。

私が行った高齢者施設は月曜日だけが休みで、火曜日から日曜まで週6日間フルタイムでした。今は、どこの職場もみんな週40時間勤務ですから、48時間勤務なんて、とても出来ないでしょう。

私だって土日は休みたかったですが、泣き言は言っていられません。

ある種、開き直るしかありません。ここでやっていくんだから、今さら嘆いたところで勤務時間や勤務体系が変わるわけではないんで。

土日勤務で月曜が休みなので休みの日は家族を含め誰とも遊べず、同じ月曜休みの同僚の矢部君と二人で遊ぶしかなかったのです。

テニスコートを予約して二人だけで1日中やったりもしました。まあ彼だけがその職場で唯一の私の味方だったなあ。

異動直後の引継ぎは私と入れ替わりで出ていった二人の職員からでした。

一人は高齢者施設の管内の管理業務全般を担当しており、もう一人の主査はいくつかの事業を抱えていました。

4月に異動していったのに、年間の管理委託の仕事などがほとんど残っていました。

光熱水費の支払い原義なども含め全部やっていない状態で前任者は出ていきました。

なんで、こんな仕事が4月になってまだあるのという感じでしたね。前任者は私に申し訳ないと、ひたすら謝っていました。

そんなわけで異動してすぐは、ひたすら契約やら原義などを毎日残業して作っていました。

やれやれです。続く

 

 

ムットン調査団262、新年度が始まる

各位

昨日は異常な暑さでしたね。都心の気温が28.1度で3月の観測記録最高だったそうです。

日中、外にでるとすぐに汗ばんできました。

地球温暖化と関係はあるんですかねえ。でも桜は逆に先週までは寒くてまだ咲き始めたばかりです。

つまり例年になく寒い三月だったのに突然夏日になってしまったというカオス状態な天気ということなんでしょう。

まあ異常気象はこれからも続きそうなので、自然災害も増えそうです。

この先どんな天気になっていくのか予想がつかないですね、まさにこれからの日本と同じような気がします。

少子化が止まらない中で、デフレを脱却して適度なインフレになるのか、そして賃金は持続的に伸びていくのか、今後の日本経済の行方みたいなもんですか。

少し話が飛躍しすぎました。

さて今日から新年度が始まりました。異動で来た人や新人が、そこら中で挨拶をしていて、役所中が終日落ち着かない状況です。

例年通りと言えば、その通りです。毎年恒例の新年度が始まった光景です。

そしてゴールデンウイークが始まる頃までに、みんなすっかりと新しい組織の中に溶け込んでいきます。

始まったばかりの新年度ですが気が付けばあっという間に年度末になります。

この一年が過ぎる速さは歳を重ねるに従い早くなっていきます。

何で年をとるにつれて1年が早く感じるのかについて、どこかに書かれてあった内容を紹介します。結構知っている人のほうが多いかもしれません。

例えば5歳の子供は5年間しか生きていないので一年間の感覚は5分の1、30歳の人の1年間は30分の1になると言う話です。

何となく納得できそうな、うーんそんな単純な話なのかなあとも思います。

4月に始まって3月に一年が終わるルーティンは幼稚園、保育園から始まって小学校、中学校、高校、大学をへて社会人になっても繰り返されます。

体の中にしみ込んだ当然の流れになっています。

仕事をしなくなったら、このローテーションから外れるわけだから、何だかどうして生きていけば良いのかわからなくなってしまいそうです。

でも日本では四季があるので春の桜から始まり、夏の暑さ、冬の寒さなどで一年を感じることはできます。もし赤道直下で一年中、常夏の国などにいたら本当に時間が過ぎる概念がなくなってしまいそうです。

それはそれで時間も忘れてしまいそうな常夏の楽園なら構わないのかもしれません。

でも時の経つのを忘れて遊び惚けていると気が付けば浦島太郎になっているわけです。

やはり我々は歳をとっても出来るだけ規則正しい生活を維持するのが大事なのかもしれませんね。

話が変わりますが私の声はまだ治っていません。まだ薬を飲んでいます。土曜日に再度、医者にみてもらい薬をもらいました。

少し良くなってはきていますが、まだ声は枯れています。私の予想ではあと二週間くらいで治るような気がします。

こんなに長引くとは思ってもみませんでした。原因はわからないので気をつけようがないのですが、とにかくみなさんも喉は大事にしてください。

ちゃんと話せないと、結構大変ですよ。まあ何でもそうですが、当たり前のようにあるものは失って初めてその大切さに気付くんでしょう。

でも、喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうんですよね。

新年度の初日なので、健康の大切さ、働けることなどに感謝してこの気持ちを持ち続けていきたいと思います。

みなさんも健康に留意して今年度も仕事頑張ってください。

んじゃ。