ムットン調査団254(39、議会答弁)

各位

全国の自治体は今、予算議会の真っただ中だと思います。我が区も同じです。

〇田君もすっかり大人になり、うまくはぐらかした立派な答弁をしていました。

自信に満ちた〇田君は「団長も俺の答弁を見習えばバッチリだぜ」と息巻いていました。

団長に対しては、まだまだ反抗期みたいです。

さて、今回は過去に書いた文章です。議会での私のユニークな答弁を紹介します。

私が課長の時の予算議会中での話です。

予算分科会が終わり、舞台は総括質疑の委員会へと移ります。

私が席に着くとY部長が来て、「分科会議事録を読んだけど、大〇さん、一体どうしてあんな発言したの?」と聞いてきました。他に数人からも同様の事を聞かれました。

さもありなん、管理職が委員会の議事録を読めば何でと聞いてくるのが普通だったと思います。

一体、何が起こったのか。では、分科会まで話を戻してみましょう。

分科会初日が終わり総括質疑送りとなった案件は2件。1件は私でもう1件は友人S課長の案件でした。

総括送りは出来ることなら避けたいと管理職なら、みんな思うでしょう。

総括送りとは各分科会で審議していた事項がその委員会だけでは十分に審議がつくせないような案件をより大きな場所で審議をし直すと言うことです。

したがって管理職としては分科会で事をうまく納めて総括審議にはさせないように努力します。

総括質疑になると全議員が出席し、理事者側も区長以下副区長、教育長および全管理職が出席します。各職場では庁内専用のテレビ中継がされますのでの多くの職員も見ることになります。そんな状況の中で厳しい質問にさらされるわけですから、出来ることなら総括質疑は避けたいと管理職だったら絶対に思うはずです。

そんな私の心理をうまく突かれてしまったんです。

分科会が終了する前に分科会長のA議員から、突然提案がありました。

ちなみに、この提案は議事録には載っていません。

「明日の分科会で、総括送りになった課題で再度発言を許可するので、その際に我々を笑わせたたら総括送りをやめてやる」という、何ともすごい提案でした。確かB議員も約束してくれました。・・その発言も当然議事録には載っていません。

とりあえず、わかりました。と答えましたが、前代未聞の提案です。

こんな事あるのかなと思いました。対象になっている課題は私とS課長の二件です。

私はS課長に「どうする」と聞いたのですが、S課長はこの提案には鼻から乗る気はありませんでした。・・まあ普通はそうですよね

と言うかS課長は多分、あんな提案は嘘に決まっている、考えるだけ無駄だと判断したんでしょう。まあ大人の判断ですね。

一方、私はあえて笑いをとる挑戦を選びました。しかし、これは考えると以外と難しいんですよ。

まず、何を話すと笑いが取れるのか、そして議会での発言なので、おかしな発言をしたら処分ものですよ。

そもそも委員会で笑いを取る発言など許されるのだろうか?課長が議会で変な発言して問題になったら洒落にならないし。

そして、その発言は議事録として記録に残ってしまうという事です。

これは難題です。家に帰ってからも「これは無理だし、リスクも高いからやめよう」と思ったのですが、ここで挑戦してしまうのが私なのです。

とりあえず発言する内容は前日の夜、家で考えて決めました。

ただ、翌日委員長が昨日の話はなかったものにして普通に委員会を進める可能性も大いにあったので、その際は当然、笑いを取る発言はありません。

さて、翌日どうなったかと言うと、なんと委員長は昨日の話を持ち出して笑いをとる発言は考えてきたのか聞いてきたので、私は考えてきましたと答えました。

このあたりのやり取りは非公開ですので議事録には載っていません。

S課長は考えていませんと言ったので総括送りが確定しました。

そして、私の正式な答弁が始まりました。

二日目の分科会で私の発言の冒頭部分を議事録通りに再現します。

「本日の澄み渡る青空のような、すかっとした答弁にはならないかもしれませんが、よろしくお願いいたします。」

何だ、こんなものかと思いますか?これが議会を冒涜せず、議事録に残っても大丈夫かもしれない、ギリギリの線だと思います。

普通の管理職の答弁の頭にこんな言葉は絶対に言いません。

この発言を議事録で読んだY部長はじめ何人かの管理職が私のところにすっ飛んで来ましたから。

さて、この発言で笑いは取れたでしょうか。

はい、この冒頭発言を私は言った瞬間、委員会室でみんなどっと笑ったんです。

やりました、私は確かに笑いを取ったのです。・・うーん、やるじゃないか俺と思ったのも束の間、でした。

笑いはとったのに、委員長は笑いながら、やっぱり総括送りにしますと言ったのです。

それはないよセニョール、せっかく一生懸命に考えて約束通り笑いを取ったのに。

ぬか喜びでした。正式に総括質疑送りにされました。

まあ完全に遊ばれたというところでしょうか。

これならば、何もせずに総括送りを選択したS課長のほうが良かったと言うことです。

まあ何事も経験と言う事で良しとしましょう。

ムットン調査団253、腰痛

各位

人類が二足歩行をした時から腰痛は人類にとっては避けて通れないないものだとテレビで見たことがある。

若い時は腰痛など無縁だったのですが、10年くらい前から年に一回くらいでるようになりました。

今朝は朝、布団の中で痛みを感じ起きるといつもより痛い、ちょっとやばそうだなと思い家をでました。

やはり歩きだしてすぐに痛みがきました、歩いていても、たまにずきっと痛みが走り、思わず「痛い」と独り言。歩くスピードはそろり、そろりです。

腰痛の期間は毎年だいたい二か月くらいのような気がします。

最初は前兆のような軽い痛みから始まります。この前兆の痛みが始まると、このあと日数をかけて段々と痛くなっていくのがわかっているので少し湯鬱な気分になります。

数年に一度くらい、かなりの痛みになり、その時は歩くことが困難になります。

じっと動かなければ痛くないので、1~2時間安静を保ち鎮痛剤を飲んで痛みが少し和らぐのを待ちます。

原因はよくわかりません。10年ほど前に腰痛の治療では有名な病院でCTなど撮ってもらい検査しましたが骨に異常はなしでした。

私の腰痛は腰が痛い時と臀部が痛い時があり、腰でも臀部でも体の後ろ側が痛いのですが、そのうち体の前の方も痛くなり膀胱のあたりが痛くなってきます。

そこで、次に地元の大きな病院の泌尿器科にいき調べてもらいましたがやはり異常なしでした。

なので、翌年以降は腰痛が始まっても収まるまでの数か月をひたすら待ちます。

数か月たつと私の腰痛は収まります。

でも一番痛い時は席を立ったり座ったりするたびに強い痛みが走り、歩いていても痛いのでやはりしんどいです。

もっとひどい腰痛の人はたくさんいるから、そういう人たちから見たら、私の腰痛なんて可愛いものだと思います。

さてここで10年前に地元の泌尿器科に行った時の話をします。

泌尿器科には初めてかかりました。待合室には多くの人が待っており、男女半々くらいだったと思います。

そのうち年配の男性医師が入っていったので、あの人がみんなを見るんだと思いました。

そのすぐあとくらいに若い素敵な女性がかつかつと歩いてくるので、若い女性の患者さんかなと思ったら女医さんだったんです。

そのうち診察が始まりました、男性の患者さんは1番診察室の男性医師に呼ばれ、女性は2番診察室の女性医師に呼ばれていました。

それはそうだよな、この場所は同姓に見てもらったほうが恥ずかしくないしと思っていました。一時間以上待っていましたが一人の例外もなく男性患者は男性医師、女性患者は女性医師だったので、そういうふうに決めているんだと思っていました。

そして私が呼ばれたのですが、なんと若い素敵な女性医師のほうに呼ばれたのです。

何かの間違いかもしれないと思ったのですが、間違いではありませんでした。

その先生は前立腺を調べるのであそこに指を入れると言うんです。

ここで、私は20代のころの嫌な記憶がよみがえったんです。20代の頃肛門が痛くて医者に行った時、先生が指サックで触診しようとするのですが、何をしても入らなかったんです。先生は内科、外科、整形外科、皮膚科、他もやる先生だったので、うまく入らなかったんだと思います。「力を抜いてください、指がはいりませんよ」と何度も言われ、私も力を抜くんですが指が入ってくると自然と力が入ってしまうんです。

結局、何度ためしても駄目だったので、先生は触診はあきらめてしまいました。

あとは薬をもらって帰りました。この時の経験がよみがえったんです。

これは、また駄目だろうと思いました。

まな板の上の鯉状態だったので、こちらは待つのみです。

すると次の瞬間、先生の指が一瞬で入ったのです。

えっと思うくらいの秒でいれたんです。20代の時の先生は指をそーっと入れるから入らなかったんです。その道のプロはそれじゃダメなのがわかっていたんです。

そして触診で「前立腺は固くなっていないので特に問題ありません。」とのことでした。

いやー、お見事でした。さすが泌尿器科の先生です、びっくりしました。

その見事な手さばきに、お見逸れいたしました。

話がかなり脱線してしまいましたが、この時に腰も泌尿器も異常がなかったので、その後も痛みがきても、いつも2か月くらい我慢して痛みが治まるのを待っています。

このやり方が良いのかどうかはわかりません。

また、診てもらうなら、あの時の先生ならいいかなあなんて思うのは不埒な考えですかね。

ムットン調査団252、日経平均最高値

各位

本日、2024年2月22日、東京株式市場は1989年12月29日の3万8915円87銭を上回り、終値で3万9147円をつけ34年ぶりに史上最高値を更新しました。

ようやく、ここまできたかと感慨深いものがあります。

ただ個人的には今日、日経平均が900円ちかく上げているのに私の株はトータルで昨日と比べてほとんど増減なしです。

もちろん、この一年とかで見れば、それなりに上がっています。あくまでも、それなりにですので、思ったほどではないです。

みなさんの中にはSP500やオールカントリーなど、日本株には投資していない人もたくさんいるとは思いますが、アメリカの株も上がっているので概ね今は、みんな儲かっている状況なのかなと思います。

日経平均に連動するファンドなどを持っている人はウハウハなんでしょう。

最近、株を始めた人は日経平均、最高値更新と言ってもピンとこないと思いますが私などは最高値を経験した後、2009年3月10日の日経平均、最安値7054円も経験し、ようやくここまで来たという感じです。

最安値の頃など、どこまで株価は下がるんだと株価を見るのも嫌でした。持っていた株はことごとく何分の一になってしまい、暗澹たる気分でした。

その後も株価は一向に上がらず、やっと少し上がったと思ったらすぐ下がると言った繰り返しでした。

それでも私は株はやめませんでした。なぜかと言うと株をやめたら夢がなくなってしまうような気がしてたんです。

20年前に家を買い替えてローンを組むときでも、株は手放しませんでした。

ローンレンジャーになっても、一発逆転の種銭は持っていたかったんです。その分を家のローンの頭金にまわせば毎月のローンは安くなったんでしょうが、それでは勝負ができないから駄目だと思いました。

最も今では私の株も配当重視の守りの買い方なので昔のような株価100倍を目指すような株の買い方は全くしていません。

前に書きましたが、昔トレンドマイクロの株を200万で買って、持っていたら少しづつ下がっていき証券の会社の担当の女性が連日、この株は売って他の株を買うように薦めてきたんです。しつこかったので根負けして20万くらいの損を出して売りました。そして、それから一年後にもしトレンドマイクロの株を売らずに持っていたら1億円になっていたんですよ。

まあ全ては自己責任なので文句は言いませんが惜しいことはしたなと思っています。

そんな一獲千金の夢があったんです。これも前に書きましたが私がトレンドマイクロを買う時に迷ったのがヤフーでこちらも200万でしたが持っていれば数年後に4億でした。

今はそういう成長株を買って将来に賭けるような事はしません。なるべくリスクを少なくするやり方にしています。

それでも投資ですから、リスクは常にあります。大暴落がきたら一気に半額になってしまう恐れは常にありますから、基本はなくなっても構わない金で株をするのが私の原則です。

でも、もし大暴落したって、若ければ取り返せますよ。

そうです、34年待てば今日のようにまた戻ってきます。

でも私には34年も待つ未来はありません、この先まだまだ上がるのか、下がるのかはわかりません。

大きな暴落がなければ、インフレには株は強いので持っているほうが有利だと思います。でも世界大恐慌並みの状態になれば紙くずになる可能性もあります。もっともそこまでひどい経済状態になってしまえば、預金だってハイパーインフレが起きてて価値がなくなってしまうかもしれません。

そんな時に強いのが現物の野菜が取れる畑を持っていたり、アパートを持っていたりする人なのかもしれません。

これ以上、リスクを考えてもきりがないので、後は個々人がどこまでリスクをとれるのか、そして、どこまでハートはタフなのか。その辺次第です。

リスクを下げたいなら債権を買うのもいいかもしれません、満期まで待てばその会社が潰れない限り損はしませんから。

今日は株式市場にとっては歴史的な日なので、株について書きましたが前に書いたことと、あまり変わり映えがしないような文になってしまいました。

この先の日本経済がどうなっていくのか、賃金は毎年上がっていくのか、金利はあがるのか。

まさに不確実性の世の中です。

自分の進路を決める羅針盤は自分にしかありません、みなさんそれぞれの大航海に出て行ってください、もちろん近所の散歩が良いと言う人はそうしてください。

近所の散歩でも道に迷うことだって、これから先はあるかもしれません。

全ては自己責任なので自分の歩幅で自分が戻って来れる自信のある場所へ行きましょう。

んじゃ。

ムットン調査団251、無料で食事を家に作りにくる

各位

私の身近で起こった詐欺的な話はまだ、たくさんあります。

今回の話は30年くらい前の話です。

この詐欺的な商法は最初にまず家に電話がかかってきます。話の内容は家でたくさんの料理を無料で作ってくれて、後は好きに食べていいという話です。

この無料で料理を作ってくれる商法も昔、結構流行って問題になりました。高級な食材で美味しい料理を無料で沢山作ってくれるという話で、後でアンケートを聞くだけです、みたいな話だったと思います。

当時、私はたまたま新聞を読んでこの詐欺については知っていました。

結構、この食事をただで作りますという詐欺が流行っていて被害がそれなりに出ているので注意喚起を促す記事でした。

この詐欺の手口ですが、まず電話がかかってきてアンケートで少し話が聞きたいとか言って、料理に興味があるかとか、好きな食べ物を教えてくれとか、いろいろ聞かれます。

いろいろ好きな食べ物とかを教えるとその料理をただで作ってあげるという話になってきます。そして、料理を作りに家にきてもらうことにすると、5人くらいの人が来てたくさんの美味しそうな料理が食卓に並ぶそうです。この料理がすでに作ってあったものだったか、その家で作るのかは覚えていません。

料理の内容もかなり高級な食材だったと記憶しています。

料理が並び食事をした後で、その業者が牙をむいてきます。

食事の提供は確かに無料なんですが、その時に使用した大量の食器を買い取ってもらうという話を、その業者がしてくるそうです。

ただで美味しい料理をたらふく食べた後に、この話を切り出されると、人間心理として、これだけご馳走になったのだから食器くらいは買い取ってもいいかなと思うそうです、それに食器はあっても困らないし。

ここで、言葉たくみに食器を買うことに合意してしまうと、さあ大変です。食器代は何十万円もするそうです。

家の中に多くの業者の人を入れてしまったから多勢に無勢です。

この状態になってしまうと一人ではとても戦えません。

結局嫌々、契約書にサインして高額な食器を買わされるという話です。

ふーん、いろいろな詐欺があるもんだと感心していたんです。

その二日後くらいだったと思います。母から私に電話がかかってきて「食事を無料で作ってくれるという電話が今あったので承諾したんだが、どう思うか」という話でした。

詳しく聞くと、まさに私が新聞で読んだ内容とぴったり一致しました

私は母に「それは今、流行っている詐欺で家の中に入れたら最後、高額な金額で食器を買わされてしまうから、すぐに断わらないと大変だよ」と言いました。

母はその話を聞いて、かなり慌てていました。まだ家に何時に来るかは決めていないので、もう一回電話がかかってくることになっていたそうです。その時に断ると言っていました。

私はとにかく相手は詐欺集団だから絶対に家に入れては駄目だと言うことと、電話で必ずその話を断ることを何度も念を押しました。

まさか、読んだばかりの詐欺まがいのことが、自分の母親に起こるとはびっくりしました。

そんな電話をもらったら、その後、どうなったか心配ですよね。

夕方、以降実家に電話しても誰も出ません。

携帯電話のない時代ですから連絡方法は家にある固定電話だけです。

何度もかけて夜遅くにやっと電話にでました。

私は「何で電話に出なかったの」と聞いたところ

母は「私と電話をした後で怖くなったので、電話に出るのをやめたそうです。電話に出なければ時間が決まらないから相手は来ないだろうと思った、その後で家に訪ねてくる人がいても一切出ないで居留守を使うことにしたそうです」

実際、何度も電話がかかってきたし、家にも訪ねて来たみたいです。

と言うことは、仕事が終わって帰ってきた父親も一緒に息をひそめていたということだったんですかね。この辺の記憶は少し曖昧です。

いずれにしても、居留守作戦は成功したみたいで、翌日から電話はかかってこなかったそうです。

あの当時、私は業者から電話がかかってきた時にしっかりと断ればいいと思ったんですが、今思うと母親の行動は正解だったと思います。

母はただ怖くなって、もう電話にでるのも嫌で居留守を決め込んだわけですが、結果は正解だったんです。

もし、あの時電話にでて、やっぱりやめますと断りをいれても・もう食材は全部用意してあるから、その分の損害賠償を払えとか、いろいろ言ってきたでしょう。相手は百戦錬磨の詐欺集団なんですから、母親のかなう相手じゃなかったんです。

そのへんを母も本能的に察知して居留守が最善の選択だということになったんでしょう。

この事件はたまたま、母に電話がかかってくる二日前にそういう、無料で食事を作る詐欺のようなことが流行っていると新聞で知ったので止められましたが、知らなかったら良い話じゃないかと薦めていたかもしれません。

間一髪、間に合ったという話です。

 

 

 

ムットン調査団250、モデルガン

各位

今回も小学生の時に流行ったものの話です。

小学6年生の時にモデルガンが急速に流行ったんです。

クラスの男子は多分、全員持っていたと思います。値段も結構高かったと思います。

自分の小遣いでは到底買えるような金額ではないので、みんな親に買ってもらいます。

御徒町にあるモデルガンショップで買いました。私が買ったモデルガンはアメリカの警察官が使用しているタイプのものです。

友達はみんな、それぞれ好きなタイプのモデルガンを買っていました。

ルパン3世が使っているワルサP38や、西部劇でよく見る弾倉が回転する回転銃などさまざまです。

モデルガンを触ったことがない人は、おもちゃの銃を連想しますよね。

一度持てばわかりますが当時のモデルガンは実物と形も重さも作りも同じだったんです。

すごい重さですよ鉄の塊ですから。あのモデルガンで頭をなぐられたら死ぬかもしれません。なんせ鉄の塊ですから鉄アレイで殴られるようなものです。

安全装置も本物同様ついています。

マガジン(弾倉)も着脱式で弾は10発くらいこめられます。弾も実物大の大きさで結構重たい玉です。本物の弾は火薬は弾の中に入っているんですが、モデルガンの場合は弾の先端に火薬を詰める場所があり、その部分に丸い形の火薬を詰めます。火薬は別売で箱で買います。

火薬を詰めた弾を10発くらい弾倉にいれて打つわけですが、当たり前ですが弾は飛び出しません。

万が一にも、弾が飛び出さないように銃口の先端が少しだけ閉ざされています。

銃を撃った瞬間は火薬が破裂しますのでかなり大きな音がでます。

通常は弾には火薬はを一つしか詰めませんがより大きな音を出したい時は二つ詰めることもありました。使用上の注意では危ないので火薬は一つしか詰めないようにと注意書きがあった気がします。

火薬が爆発する音としては運動会の発射ピストルなどを思い出してもらえばわかると思います。

子ども達が集まって銃を撃ち合ったわけですから、火薬の爆発音が連続して響いていたわけです。神田の街中で撃ち合っていたけど、特に怒られたり、苦情がきた記憶もありませんでした。何事にも大らかな時代だったんでしょう。

一発撃ったあとでスライドを手前に引くと、打ち終わった弾が銃身の横から飛び出してきます。本物のと同じ作りになっています。

弾は火薬を詰めて何度でも使えるので飛び出した弾もすぐに拾います。弾も本物と同じ形をしており値段もそれなりに高いんです。

そんな危ない遊びがよく流行り続いたと思うでしょう。

そうなんです、やはり当時、社会問題になったのです。

まず、銃の安全性の問題です。運動会のピストルは火薬を外から叩く単純な作りですが、モデルガンは弾の中に火薬をつめ銃の内部で爆発させます。

そのため、銃が暴発することがあるみたいで、子供の事故が度々ニュースになりました。ひどいケースでは指が暴発で取れたとニュースでやっていたのを覚えています。

子ども達が怪我するケースが度々起こるので当然、何とかするべきだと社会問題になっていきました。

それともう一つ、大きな問題が起こってきたのです。改造拳銃です、本物と同じ作りで作っていますから少し改造すると簡単に本物の拳銃になってしまうのです。

モデルガンを改造した銃での発砲事件も起こり死者もでてきました。銀行強盗や暴力団などの撃ち合いでも使用されたりしました。

このような状況のもとモデルガンを持っているものは銃身の上の部分を白いペンキで塗るようにとなりました。その頃はみんなモデルガンで遊ぶのをやめていたので、白ペンキなど塗らずにそのままにしました。

次は新しく売るモデルガンは黒色にしないで金色のような色に変えて、その次には改造しても本物の拳銃にはならない作りに変更されました。さらに私達の時代に購入したモデルガンは所持してはいけないに変わりました。

その規制がいつ頃だったのかは覚えていません。

中学時代に友達にモデルガンを持っていると話すと、頼むから譲ってくれと何人も言われましたが全て断りました。

今ではあのモデルガンがどうなっているのか、さっぱりわかりません。

それにしても、危ないものが小学生の中で流行ったものです。全国で流行ったのかは、わかりませんが東京では間違いなくはやりました。

火薬を使って遊ぶなんて危険ですよね、小学生のうちからそんな危険な火遊びをしたら駄目ですよね。大人になったら火遊びはいいのかって、それは大人なんですから各自の大人の判断で考えてください。

ムットン調査団249、詐欺ではないけれど

各位

今回の話は2つしますが、どちらも詐欺とは言えませんが、まあいらないものを高額で買わせられるので詐欺的な感じがします。

最初は英会話教材の話です。これは知り合いが若い時に数十万支払って、家に大量の教材が届いたが一回も見なかったという話しです。正確な金額は覚えていないけど若い時だったので、その出費はかなり痛かったそうです。

どのような教材だったかはわかりませんが、当時英会話など、やるつもりは全くなかったのに断れないような状況に追い込まれて契約をしてしまったそうです。言葉たくみに誘導して、断れないようにするのはやはり問題だと思います。

今だったらクーリングオフで契約を解除できたでしょう。

英会話の勧誘は私にも若い頃にしょっちゅう電話があったのは前に書いた通りです。

私の場合は暇つぶしにどのくらいすごい勧誘なのかを試してみましたが、前に書いた程度でした。でも自分の身近でその英会話の教材を高額で買わされた人がいたんですよ。

私が聞いた時には、その契約はもう10年以上前の話で、教材は邪魔なので全て捨てたそうです。

大抵の人はこうなります。真剣に学びたいなら大手の会社でみんなに認知されている英会話教室に通うのが無難なんでしょうね。

最近は英会話教材の押し売りは、あまり聞かなくなりましたね。

次の話は資格教材、この話はよく覚えています。私がすでに公務員になっていた時です。

親戚の家に遊びに行った時に、すでに社会人となって働いていた親戚の男性が、今度、資格を取るために勉強すると言うのです。

彼のことはよく知っていたので理容師や美容師の資格とか、または調理師の資格とか、そんな資格を取るのかと思ったら、なんと行政書士の資格だと言うのです。

聞かされた瞬間にあちゃーと思いました。

若い彼は行政書士の資格を取るための教材をどっさり買わされていたんです。

分厚い本が20冊くらいありました、実際に本の山を見ましたから。本を積み上げると胸の高さくらいまである、すごい量の本です。

金額は20万以上を支払ったそうです。すでにクーリングオフの期間は過ぎていました。

当の本人は、その時点では行政書士の資格を取るんだと意気込んでいたので、無理やり契約を迫られたとは言えない状況でした。ただ本人は自分から行政書士の資格を取りたかったのではなくて、勧誘にあって初めて行政書士という資格を知っただけなのです。そこでこの資格がどんなに素晴らしいものなのかを聞かされ、そのためにこれらの本を買って勉強すれば、その行政書士に簡単になれるような話を聞かされたそうです。この契約がまだ破棄できるならすぐにでもそうさせたいのですが手遅れでした。

まあ手元には法律関係の新品の本が山ほどあるわけです、もしかしたら勉強するかもしれないので。はなから意欲をそぐわけにはいかなかったので、「あんたは、こんな本絶対に読まない」とは言えませんでした。

でも彼は勉強が嫌いだったので中学、高校とほとんど勉強はしていなかったと思います、だから彼がその行政書士の本は絶対に読まないだろうという確信が私にはありました。

彼が言うには、頑張ってこの資格を取れば将来とてもお金になるような、バラ色の話をきかされたみたいです。

彼の場合は相手の話を聞いて、前のめり気味で契約した感じでした。いいカモでした。

話を聞かされている時は、よし勉強するぞという気持ちになるんでしょう。

英会話教材と同じで家に大量の教材が届くと我に返り、勉強大嫌い人間である本当の自分に戻るんです。

それでも大金はたいて買った本ですから、すぐには捨てられない。でも大量にあるからいつでも自分にの目にその本の山が飛び込んできて、後悔するわけです。

相手をその瞬間だけ、その気にさせて契約するんですから詐欺的ですよね。

そもそも、この資格、我々は何もしなくても取れてしまう資格です。

だから彼には「我々、行政職の公務員は17年間公務員をやれば誰でも行政書士になれてしまうので、あまり大した資格じゃないよ」とは言えませんでした。

ただし、試験を受けて行政書士の資格を取る場合は何も知識がない人が一から勉強をした場合には結構難しくて受かりません。

司法試験や司法書士を目指している人なら、簡単に合格できる試験だと思います。

いずれにせよ行政書士の資格だけで飯が食えるなら多くの公務員が行政書士になっているでしょう。

もちろん行政書士の資格だけで数千万円稼いでいる人はいます。それは商売の才覚があるからです。今はネットの時代なので相続の仕方がわからいと検索すると、弁護士、司法書士、税理士、行政書士が入り乱れて広告をだしています。知らない人から見ればどれも似たような名前ですから、安くやってくれる人が一番です。ネットをうまく使いこなせば行政書士でも食べていけるかもしれません。私が若いころは運転免許証の更新をする時に試験場の近くにたくさんの代書屋や店を構えており、その店で書類を整えてもらっていました。その代書屋がまさに行政書士だったので、全国の運転免許試験場の近くには多くの行政書士が店を構えていました。したがって昔の行政書士は運転免許場の近くに店を構えている人だけが食べていけるイメージだったのですが、今はもうそんな店ないですからね。

話がそれましたが親戚の青年は勉強は全くやらないタイプだったので想像通り、こちらも手付かずの本が数年後にごみとして捨てられました。

英会話の教材や行政書士の資格を取るための本がほとんど使われずに捨てられたわけです。

この勧誘で届いた教材で真剣に勉強して英語がベラベラに話せるようになったり、行政書士の資格を取れた人はいたんだろうか。

そもし、それなりの人数が合格しているなら立派な教材なのかもしれません。そのへんがわからないので詐欺とは言い切れないのです。

それでも全てに言えることですが、最初に話を聞いたその場で契約は絶対にしては駄目だと言うことです。

それを強引に契約に持ち込もうとするならやはり、怪しいと言うことでしょう。

必要なのは断わる勇気を持つということなんでしょう。

それが一番重要なのですが、一番難しいんですよね。困りましたね。

でも断る勇気をもたないと、あらゆる詐欺のカモになってしまいます。

ムットン調査団248、浜松が返り咲き

各位

団長がすごく機嫌が良いのでどうしたのか聞いてみました。

その訳は浜松がギョーザで日本一に返り咲いたからです。

2月6日に総務省の家計調査が公表され、2023年のギョーザの年間購入額で浜松市がライバルの宮崎市宇都宮市を上回り、3年ぶりに日本一を奪還しました。

浜松市役所では2月6日朝、担当職員が集まり、午前8時半に発表される総務省の家計調査の発表をかたずをのんで待っていたそうです。

その結果、浜松市は4041円で1位、2位は宮崎市で3497円、3位は宇都宮市で3200円でした。

これまでの順位は

2022年 1位宮崎4053円、2位宇都宮3746円、3位浜松3435円

2021年 1位宮崎4184円、2位浜松3728円、3位宇都宮3129円

2020年 1位浜松3766円、2位宇都宮3693円、3位宮崎3670円

2019年 1位宇都宮4359円、2位浜松3506円、3位京都2790円

浜松市、観光・シティプロモーション課の須藤課長は

「具体的に何をどうかしたというわけではないけれど、浜松市民のひとえに餃子愛というものが結実したのでは」とのことでした。

浜松市中野市長のコメント

「餃子好きの市民の皆様のおかげで、浜松餃子はいまや、出世の街、浜松を代表する浜松グルメとなりました。餃子をきっかけとして、多くの皆さんに浜松にお越しいただき、地域活性化へとつながるように、これからも餃子文化を盛り上げていければと思います」

浜松が市をあげて喜んでいるのがよくわかります。

団長もこの結果が気になっていたらしく、1月下旬からは仕事が手に着かなかったそうです。そして2月6日は浜松市の職員同様に総務省家計調査の発表を待っていたそうです。

その心境は浜松北高校の合格発表を待っていた時のようだと言っていました。

では、団長からも一言もらいましょう

「団員諸君、私は今すごく嬉しい。ここ2年間宮崎に負けており、昨年は3位まで落ちてしまい、すごくショックでした。でも浜松は必ず返り咲くと信じていました。私は浜松に帰る時は必ず餃子を食べていました。自分が故郷で食べる餃子の量はたかが知れています、でもこの小さな積み重ねが大事なんです。浜松市民並びに故郷を浜松に持つ全ての人が心をひとつにして餃子を食べた成果なんです。

やれば出来るということが証明されました。団員諸君、何事もあきらめては駄目です、目標に向かって絶対に成し遂げるという不屈の魂が必要なんです。

私はそうして今まで生きてきました。そして今の自分があります。

今なお常に自分を高みへと持っていくように普段の努力を積み重ねています。

その結果、体重は20代のままをキープし、髪は黒くふさふさです。

頭脳明晰、どうです皆さんも私のような人間になりたいでしょう。

相談には応じますが、ただと言う訳にはいきません。それはみなさんの気持ちで結構です。

しかし、物事には常識というものがありますから、そのへんはしっかりとわきまえてください。弁護士の相談料は一時間1万円くらいはします。私は一次試験は何度も受かっています。

また、自治体法務にたけ、DXにも詳しい人間ですから、その辺をよく考えてください。

それでは、皆さんの相談をお待ちしています。」

いつもながらに、団長の素晴らしく、そしてえぐいコメントでした。

団長が餃子をどのくらい好きなのかは定かではありませんが、浜松愛だけは間違いないと思います。

我々にとっては、たかが餃子ですが団長にとっては浜松北が甲子園に出場するようなもんだと思います。

でも浜松餃子と宇都宮餃子と宮崎餃子って何か特徴があるんですかね。

団長に聞いてみました。

浜松餃子を他の餃子と一緒にするなど言語道断である。浜松餃子は文化の香りにみちており、口の中にいれれば幸せが口の中でじゅわっと広がり、その感触が体中をめぐり脳を刺激し幸せを感じることが出来る、一つ食べたらその味は生涯忘れることの出来ない美味であり、もう一つ食べたくなり、やめられなくなるんだ。浜松ギョーザは気高く気品に満ちており、それでいて庶民的。他の追随を許さない、例えるなら浜松北高校のようなものだ、どうだ、浜松餃子がどんな味なのかよくわかっただろう」

うーん、どんな味だかさっぱりわかりません。いずれにしても浜松が3年ぶりに日本一を奪還し団長が上機嫌ならそれで良しとします。

今回はこれにて。んじゃ。