ムットン調査団234(1,2調査団の始まり)

このところ連続で過去の文章を投稿していますが前回までが宇野ちゃんまつり、今回からタイトルがムットン調査団に変わりました。過去の文章の最初の頃は話がくっついているので、連続になってしまいますので、あしからず。

ムットン調査団1

各位

第四回定例会も終わりが見え少しほっとしている人もいるでしょう。

今回タイトルが変わりました。そうなんです被害者は宇野ちゃんではなくミスターXであり、宇野ちゃんはXに恥をかかせないために身代わりになっていたのでした。団長が放った藤枝東の調査員がその事実を突き止めました。さらに、犯人はチノパンを履いていたという情報も取ってきました。さすがです、彼女はここで一旦、休んででもらいましょう。犯人よ夏にチノパンを履いていたことまで、ばれているぞ、もう観念した方が身のためだ、団長は強い奴には弱いが、弱い奴には容赦はしない、相手の弱みを見つけたら、降参するまでそこだけを責め続ける、まさにキングオブキングだ。敵に回したらこんな素晴らしい人はいない。

 ところで、皆様からM派と安田大サーカスと何なのかと言う問い合わせがよくあるので、詳しくお知らせします。今回はM派の説明なのでつまらないと思いますので、読まなくても大丈夫です。

 2014年団長が教育委員会K部〇〇課長の時にM派が産声を上げたのです。団長のMは理想に燃えK部改革のためにくたびれた中年を集めM派を立ち上げました。創世記のメンバーは今も昔もM派の最低顧問の(仮称)鍋島氏など団長子飼いの忠誠心に溢れる少数精鋭の集団でした。

 その団長も数年後に福祉部門に異動になりU部長の軍門に下りM派は一旦解散となります。それで諦める団長ではありません、捲土重来を期して2019年K部の担当部長として戻って来たのです、この時同じ部に来たのが仮称・山田課長です。

 団長は山田課長に熱い思いをぶつけます「私は司法試験一次は何度も受かったけど、二次はあと一歩届かなかった、もう悔しい思いをするのは俺だけで充分だ、子どもたちには俺のような思いはさせたくない、法学部出身の山田さんならわかるよね、一緒に頑張ろう」という意味不明な説得に山田氏は感激し二人の共同経営の派閥を立ち上げることに合意、ここに歴史的偉業、泣く子も黙る「K部最大派閥、M派と安田大サーカス」が誕生したのです。団長が会長で山田氏が幹事長に就任しました。

「M派と安田大サーカス」という長い名前の派閥は、まさに絶頂期を迎えました。

M派に非ずんば人に非ず、栄耀栄華を極めるのであります。

この時期、同じ部内では一党独裁は良くないと、仮称・松村係長が松村派、通称ぼっちの会を立ち上げます、部下の仮称・山丸氏も松村派に参加し部内は内部抗争に発展していきますが、松村氏と同期の山田氏との話し合いで和議が成立、さらに松村氏退職に際して山丸氏をM派が引き取り、世にいう「K部、僕たちの七日間戦争」は終結しました。

しかし、おごれる者も久しからず、たけき者も遂には滅びぬ。団長のMが永遠にK部にいることは出来ませんでした。盛者必衰の理をあらわすとはこのことです。

令和2年4月、M会長はわが社の壇ノ浦、C部に異動になりました。

役所内で猛烈なM派狩りが行われました。M派狩りは容赦なく行われましたが、会員一同、会長のMが再び再起することを信じて耐え忍んできました。この時のメンバーは隠れM派とよばれ、人事に呼びだされては団長の写真を踏めるか試されていました。

最低顧問の鍋島氏は毎回、何のためらいもなく団長の写真を踏みつけていたそうです。

冬の寒さも耐えしのげば、やがて春がきます。

そうです役所各部に落ち延びたM派と安田大サーカスのメンバーは今心を一つに再び動き始めました。M会長の不死鳥伝説がここからはじまったのです。いかがでしたか、これがM派と安田大サーカスの歴史です。M派と安田大サーカスに入会希望の方はM会長または山田幹事長にお問い合わせください。もっとも簡単な入会方法は私に入りたいと、電話、メール、念力、ウインク、などでも簡単に入れます。

 また、ムットン調査団は引き続き犯人確保にむけて動きますので、ご安心ください。大きな悪には目をつぶり、どんな小さな悪も見逃さないM団長はいつでも貴方の味方です  シーユー

ムットン調査団2

陽はまた昇る

 前回、M会長がK部を追われたところまで説明しましたが、その後について説明します

 C部に逃げ落ちたM会長はすぐさまM派の体制を立て直し、2階の奥の奥、役所未開のアマゾンともいえる場所に穴籠りしました。 住民からは一切見えず、住民の声も聞こえません。そうです聞く耳持たずの戦略にでたのです。あの場所だとマジで初めての人は部長の場所にたどり着けません。そんな場所でひたすらジュリストを読みながら、新体制を構築しました。頭がさがります

C部、四天王をまず任命します。

 1,M部長・・・M派の会長兼ムットン調査団長、2,(仮称)音田担当部長・・ソフィアの迷幹事(上智大学出身なのでついた役です)、3,(仮称)用田担当部長・・常勤役無(頭もつるっと髪なしです)、4,そして末席に私です・・・役は、ひ み つ 

さらに(仮称)鍋島課長・・最低顧問と(仮称)石清水課長・・一会員、(仮称)三柳課長・・はしぼう顧問に任命します。三柳課長はこの役を嫌がっていますので、役の中身を聞きたい方は直接三柳課長に聞いてください、を同心に任命し、官位二つだけよ制度を確立しました。

 さすがです、K部を追われたと思ったら、すぐさま会員を呼び寄せC部に4部長3課長体制のM大国を復活させました。

なお、山田課長(正式には参事、事務取扱)は他部にいたのですがM派と安田大サーカスの幹事長の重責を担ってもらいました。

 さらに、会長から合言葉を賜りました 「愛するものは平和 求めるものは自由」

 さすがです、人類普遍のテーマを合言葉にするなど会長ならではのアイデアまさにグッドジョブです

 こんな会長が団長を務めるムットン調査団にかなうものなど、いるはずがありません、夏にチノパンをはいていた犯人よ、どうだ

まいったか! 君がちんけな小悪党なら容赦しないぞ。

 盛者必衰の理を蹴散らし、ひとえに風の前の巨岩となってよみがえった、M団長の伝説はまだ始まったばかりである。

さあさあ、皆の衆、今後のムットン調査団の活躍にこうご期待。