ムットン調査団270、高齢者施設7完結編

各位

ゴールデンウイークの谷間ですね、皆さんはどこかに出かけましたか?

観光地はどこもすごく混んでいたみたいですね。テレビではどこにもいかずに家にいる人が一番多くて4割くらいだと言っていました。

団長は浜松にいくかどうか迷っていました。自民党静岡県知事選挙で静岡高校出身の大村氏に一本化したからです。自民党の推薦が得られない浜松北高校出身の鈴木氏は立憲民主党が推薦するみたいです。当初は自民党から推薦が得られない鈴木氏のためにゴールデンウイーク後半は浜松北の団結のためにお国入りをしようと考えた団長でしたが、最近の3つの国政選挙で立憲民主党が3勝したので、これなら団長が浜松にいかなくても大丈夫だと判断したようです。

団長は政党などはどこでも構わないのです、浜松北の人間が静岡高校に負けることだけは我慢ならないのです。団長の燃える日々はまだ続きそうです。

団長の状況はこのくらいにします。それでは、高齢者施設編の最終回です。

時は流れ、若造だった私が管理職になり出先の課長の時、区長が都からバリバリの優秀な部長を引き抜いて教育長にすると耳にしました。

まあ、都から優秀な人がくるんだ程度で特に関心もありませんでした。

しかし、その人は(仮称)古木さんだと聞かされた時は心臓が止まるかと思いました。

古木さんが、教育長になって戻って来たんですよ。青天の霹靂です、これはえらいこっちゃと思いました。

彼こそ私が若き日に「あなたには管理職の資格がない」と言ったその人ですから。

古木課長が昔、都に戻ったその日は、私と古木課長の永遠の別れになるはずだったのですから。

いやーまさか彼が教育長で戻ってくるなんて、思ってもいませんでした。

これはヤバイですよね。想定外です。

色々と考えたのですが、打つ手なし、思考停止状態にしました。

偉くなって戻ってくるのは鮭だけでいいじゃないですか。

私は何となくバツが悪いので、なるべく避けていました。

私が出先の課長の時はあまり会う機会はなかったので良かったのですが、役所の中の課長になると同じ庁舎内ですから嫌でも出くわしてしまいます。

役所の中ですれ違ってしまう時などなるべく目を合わせず、気が付かないふりなどしながら通り過ぎていたような、もしかしたら軽く会釈くらいしたのかな。覚えてない。避けていたことは覚えてますよ。

本来なら、私も管理職になっていたのだから、古木さんの教育長就任時に教育長室に行き、お久しぶりです。と言って挨拶くらいしに行かねばならないのですが、あそこまでの言葉を言ってしまったので、やはり気まずくて行く勇気がなかったですね。

しかし運命のいたずらは、二人をしっかりとめぐり合わせてくれるんですよ。♪そして、めぐり逢い♪・・昔の歌です

私は〇〇課長の次の人事異動で、ドストライクです。そうなんです教育委員会の庶務担課長に異動になってしまいました。

うひぇー、やばいと思いました。部の庶務担課長ですから教育長とは密接に関わって仕事をするわけです。

どうしようか迷いましたよ、最初はやはり「お久しぶりです、あの時はお世話になりました」くらい言わないと変だよなあ、とかいろいろ考えたんですが結局何も言わない事にしました。

何かあれば教育長から言ってくるだろう。そうしたら、「あのせつは無礼な事を言って申し訳ございませんでした」と言おうと決めていました。

しかし、時がたってもお互い当時の事は一切話をしませんでした。

教育長とは仕事を一緒にし、間近で見ていたので、どんな人なのかよくわかりました。

誠実な方で尊敬出来る立派な人でした。私との関係も円満そのものでした。

こういう人だから、あの時、俺みたいな若造に暴言を吐かれたのに、ちゃんとあやまってくれたんだなと思いました。

そんな古木教育長ですが、ある時区長との考え方の違いから、「私はもう教育長を辞める事にした」と突然言ったんですよ。

詳しい話はしませんが、教育長がそういう行動に出るのも十分理解できる状況でした。教育行政を預かる身として、これ以上の譲歩は教育委員会の解体にもつながりかねないというギリギリの状態でしたから。

これは一大事です、私は副区長の所に飛んでいき教育長が辞めるという話をしました。

その話を聞いて副区長もすぐに教育長のところに、私と一緒にきてくれました。

この時は副区長の粘り強い慰留により何とか教育長にとどまってもらいました。

教育長は不本意だったと思いますが、ここはぐっとこらえてもらい何とか事なきを得ました。

私は翌年、人事異動で教育委員会を離れ区長部局の課長へと異動になりました。短い一年間でしたが古木教育長のもとで働き本当に良かったと思っています

古木教育長は2期8年で退職しました。

また副区長は、私が某部長の時に突然、辞めてしまいました。

副区長も区長との関係が限界になり突然辞められてしまったのです。副区長は古木教育長が辞めると言った時は、「辞める時は一緒だ」と教育長を説得していたのに、くすん

お二方とも尊敬できる素晴らしい上司でした。

今日まで古木教育長と、高齢者施設時代の昔話をしたことは一度もありません。

多分、いやきっと、絶対、古木教育長も忘れてないと思います。

私も死ぬまで忘れません、あの時言った言葉を 「あなたに管理職の資格はない」

お互い遠い昔の出来事として胸にしまっておくことになるでしょう

古木さん、お世話になりました。ありがとうございました。

これにて、高齢者施設の話はお開きとさせていただきます。