ムットン調査団166(28、理由なき反抗)

各位

前回、落書きで数学の川又先生に目をつけられ職員室前の廊下を磨いた話はしましたが、もう一人怒っていた先生が理科第一分野の加山先生です。

この先生は陰気で一年間無視されました。この先生は私が中学1年生の時に習っていて、私が2年の時は3年生を教えていて落書きされたクラスの担任。3年になりこの先生にまた教わる事になったのです。授業が始まり、1年の時に教わった生徒にはみんなに、「山田元気だったか」などと声をかけ俺のことは完全無視。結局1年間無視されたままでした。2年の時の落書き問題を根に持っていたのでしょう。そこまで頭にくるような事だったとは私には思えないのですが。

ところで私の3年の時の担任は(仮称)長野先生と言って理科第二分野の先生でした。めちゃくちゃ怖くて、まじ何十回も平手で殴られましたけど、でも私にしてはめずらしく、長野先生のことは信用してましたし好きでした。長野先生には、いろいろお世話になりました。

3年生になった私ですが基本宿題をやらない生徒でありまして、あと予習もやりません、授業中もよく聞いていません。

したがって、宿題をやってこないのでよく怒られていました。また、授業を聞いてないせいなのか、職員室前の廊下を磨いていたせいなのかわからないけど、数学の授業で突然さされて黒板の前にいき教科書の練習問題をやらされると、正直わからなくて「分かりません」と言うと川又先生は「何でこんな問題がわからなくてお前はずっと1組にいられるんだ」とよく怒ってました。中間や期末になると確かにそうだなとわかるんです中間テストが近づくと初めて真剣に教科書を読み始めて内容を理解するのです。それを各教科一気にやり、やっと内容が頭にはいってくるわけです。教科書で数学の公式が説明されていて、その下に公式に数字を当てはめるだけの練習問題があります。その問題をさされて私はわからなかったのです「あーこんな簡単な問題、俺出来なかったんだ、その時やっと恥ずかしいな俺」と思うわけですが、一気にやりますからテストは高得点でまた1組を死守する、そしてまた宿題やらない、さされてもわからないの繰り返しです。

3年生のゴールデンウイークの時など、とてもやり切れないような膨大な宿題がでたんです。これはもう無理だと思い私はゴールデンウイーク開けの日は休み、その休んだ日に友達から答えをもらって翌日学校にいくという作戦にでたのですが、夕方同級生のT君から電話があり長野先生が「大〇は宿題やってないから休んだのだろう」と言っていたと教えてくれました。お見事ビンゴです、おそれいりやす長野先生。

でも人間いきなり変われないのですよ。夏休みの宿題をすぐにはじめる人、八月の最後にあがく人、性格はそう簡単には変わりません。

5月のある日、長野先生に理科準備室に呼び出され、先生の机の横で正座させられ「お前はどうして宿題をやってこないんだ、」と言いながら黒板を指す棒で私の顔のほっぺを軽くたたきます。 そうです、その横には第一分野の加山先生がいるのです。私が怒られるのをにやにやしながら見ています。性格悪い先生ですよね。長野先生が続けて「お前内申がどうなってもいいのか?このままじゃ高校受験は失敗するぞ、気持ちを入れ替えるように、他の教科の先生達には俺からよく頼んでおくから、わかったか、返事は」 なるほど、これは長野先生が加山先生に対しての私をかばうためのアピールなのだとピンときました。ありがとうございます長野先生。

さて三年生になると必修クラブというものがあり、必ずどこかのクラブに入らなければならない、言わば必修授業みたいなものがありました。私が選んだのは数学クラブ。そうあの川又先生が教えるクラブです。なぜ数学クラブを選んだのかは、もう覚えていません。多分数学は割と得意だったからなのかもしれません。しかし、私は最初の必修クラブの時間に指定されている教室にいかず図書室で一人時間をつぶしていました。なぜかって聞かれても、わからないとしか言えません。あの頃の自分は何を考えていてのか、わかりません。

特に気づかれる事無くひと月くらいが過ぎ図書室で過ごすのにも慣れた頃、数学クラブでようやく川又先生が私が数学クラブに入っていることに気づき、生徒に「今日大〇は学校に来ているのか」と聞き、当然みんな「来ています」と答えるので、数学クラブは中断し生徒みんなで校内の大〇探しに変わったそうで、図書館にいるのを見つけた生徒が「川又先生が早く教室に来るように」と言っているのとの事、まあここが年貢の納め時ですかな、戻ったあと、ご想像通り、こってりしぼられました。まあ無断で必修クラブに参加しないわけですからここは川又先生が怒るのはしかたないでしょう。

一つひとつの事は大した事ではないと言えばそれまでだし、不良でもない、成績もまあいい、しかし学校の秩序をみだす生徒と思われたのかな、多分同級生たちは卒業した後、私の印象を聞かれればまあ普通のまじめな生徒という印象しか残ってなくて、先生達の記憶にもあまり残らない典型だと思うのだが、よく怒られた。

また話は変わるのですがJRが国鉄と呼ばれていた頃、我が中学の生徒はそのほとんどが国鉄を使って通学していた。

入学式の後クラスに戻り前に座っている女子生徒と最初の会話は私には衝撃的だったので覚えている。二人とも可愛かったなあ。一人は(仮称)有村さんで葛飾奥戸に住んでいると、まあその時は奥戸なんてどこだかよくわかんないけど ふーんって感じ、でもってもう一人が(仮称)三田さん「私は取手」 俺「取手ってどこにあるの何県?」彼女が言った「茨城県」の一言、俺はぶっ飛びましたよ、俺の中では茨城県ははるか遠い遠い県ですよ。埼玉や神奈川だって、十分遠いのに。俺たちみんな、つい数日前までは小学生だったんだから茨城は衝撃的ですよ、まじで。

そんなわけで私の中学のほとんどの生徒は国鉄を使って通学しているのですが当時の国鉄はよくストライキを行っていたのです。

ストになると大半の生徒はJRの神田駅を使うので学校に来れなくなる。一学年6クラス、260名がJRのストになると地元の生徒だけ1クラスに集められ、でもってずっと自習だから、学校行く意味がないと常々私は思っていた。そんな時国鉄は3日間のストライキを打ったのです。

三日間、ほとんどの生徒は休みで地元の生徒は自習、これでは学校にいく意味がないと判断し私も3日間休むことにしました。

3日間たってストがあけて全員登校。ホームルームで長野先生「大〇前に出ろ」 職員室の黒板に(大〇3日間無断欠席)とでっかく書いてある。どういう事なんだ。お前は電車を使っているのか?

よせばよいのに、ここで「はい」と言ってしまうのが俺なんですよ。

先生はみるみる鬼の形相になり「どこから電車に乗っているのか行ってみろ」

私の家は秋葉原駅の電気街口、昭和通り出口、神田駅東口までぜんぶ7分のところに住んでおり、つい口にしたのが「秋葉原から神田駅まで電車に乗っています。」

そりゃあ火に油をそそぎますよね、「貴様、俺を馬鹿にしてるのか、ふざけるのもいい加減にしろ。お前の根性叩き直してやる。歯を食いしばれ、一歩前へ出ろ」この一歩前に出た瞬間に平手で思いきりひっぱたかれます。だいたい、いつも体が吹っ飛びますから軍隊式のこぶしを平手打ちに変えた感じです。

あの頃の俺、決して悪じゃないのに、怒られる。いじめもしない、いじめられる事もない、自由を求めていたのか、束縛を嫌ったのか ただのいたずら小僧なのか 理由なき反抗なのか 少年の心は今の私にはわからない

「団長一口メモ」

団長は無事、浜松北高校に入学 この地域では浜松北高校に入ることがまさに秀才の証 東大にはいるより浜松北高校に入るほうが地域での尊敬を集め、両親も大喜びだったそうです。そんな団長が高校で入ったクラブは陸上部です

爽やかな笑顔を振りまき、陸上部の100メートルのエースへと成長していきます

今日はここまで  またね