ムットン調査団165(27、鈴木君)

各位

学校給食はみなさん苦労したみたいですな、(仮称)有河さんは昼休み給食時間が終わっても食べ終わらない人の常連だったらしく、後ろの席で食べされられ、その間、掃除が始まったそうです。

みんなが掃除をしてる時、毎回必死に給食と格闘してたそうで、ある時こんにゃくがどうしても食べられず無理して食べたら気持ち悪くなりトイレに駆け込み吐いてしまったそうです。給食残酷物語ですな。あとクジラが駄目だったそうです。

私はクジラは好きだったのですが、おかわりをした時は絶対おかわりをしたものは残してはいけないというルールがあり、困った記憶があります。

くじら肉の中に時々油の固まりのような、どんなに噛んでも嚙めないような肉がまじっているのです。意気揚々とおかわりをして、この肉にあたったら誰でも食べれません。そんな時はそうです、私の何でもポケットは食べれない全ての食べ物を入れていく魔法のポケットだったのです。

 

 さて話は中学2年の冬に飛びますが、2年F組に所属していた私のクラスは3年生のクラスと同じ3階にありました。ちょうど受験期で三年生が誰もいなかったので、同級生の鈴木君と隣のクラスに行き、その黒板に落書きをしてきました。何でそんな落書きをしたのかは覚えていません、また鈴木君とは特別仲が良かったわけでもなく、たまたま一緒にいただけのような気がします。書いた内容はしっかり覚えています。

「中三の諸君たるんでるぞ、2年F組の(仮称)藤森君を見習いたまえ」内容はこれだけだったのですが、これが後々まで私を苦しめる事になるのです。藤森君はF組の同級生で学年でもトップクラスの成績でした。

落書きをした翌日、私は休んでいたのですが、翌々日学校に出て仲の良いクラスメートから前日の話を聞かされます。朝担任が「藤森、3年のクラスで落書きなんかしては駄目ですよ」と言ったらしく、当然藤森君は「僕そんな落書きしてません」と言ったそうで、まあ当たり前ですよね。やってないんだから。だいたい、藤森君を見習えと書いたんだから、藤森本人が書くわけないじゃないですか。

普通ならこれで事件は迷宮入りとなって終わりです。しかし、そうは問屋がおろさなかったのです。

なんと、鈴木君は「先生、藤森君はやってません、それを書いたのは大〇君です」とばらしてしまったとのことです

それを聞いた時、ふざけんなよ鈴木、なんでそんな事ちくるんだと思ったけど、まあ悪いのは私だからしかたないと、、、、

でも未だに鈴木君を覚えているのは、この一件があったからです。鈴木君は真面目で、背は低く少し太っていて顔はリスみたいな可愛い顔していました、はっきり覚えています、。藤君の住まいは江東区、鈴木君はどこだか覚えてないけど区外です。

これくらいの事なら私は、学校に出てきた日に担任から注意を受けて終わりですよね。

ところが、私は2年の学年主任の先生に呼ばれ、3年生がみんな怒りまくってる、犯人をぶん殴ってやる、犯人を出してくれと。

さらに、三年の学年主任と落書きされたクラスの先生も、めちゃ怒ってるらしく、私の母親は三年の学年主任の数学の(仮称)川又先生に呼び出され、延々とお説教をくらったそうです。あとから親に聞いた話では、あまりにも長く怒っていて、いくらあやまっても終わらないので母は川又先生に「子どもなんだから、それくらいしたって大した事ないじゃないですか」逆切れしたらしく、川又先生は「オタクはどこから通っているんだ」というから、「神田〇〇町です。それがどうかしましたか、義務教育だからやめさせる事なんかできませんよ」と言ったら黙ってしまったそうです・。

ここで私が地元だったからよかったものの、区外でしたら大変です。当時の私の通っていた中学8割5分は区域外就学ですから、先生達は親にも平気で地元に帰れと言ってましたし、我々生徒にも問題起こしたり言う事聞かない奴は即地元に帰ってもらうと事あるごとにそう言って脅してました。

まあ、そんなこんなで月日はたち、三年生は卒業していき、私の中でも事件は過去のものになり私は中3へと進級しました。

2年の時の先生たちもに大体が一緒に持ち上がり、元三年の先生は1年の担当へと動くと思ったら、この川又先生と隣のクラスの理科第一分野の(仮称)加山先生が、そのまま三年に残ってしまったから、さあ大変です。江戸の仇が長崎で討つみたいな、、ちと違うかな。

ここから、ねちねちと私へのいじめのようなものが始まります。

我が中学では前にも書きましたが3年になると英語と数学の時間は英数クラスと言って成績別クラスになり、毎月入れ替わりがあります、

私は1組を死守しましたが、1組の数学担当は川又先生です。

最初の数学の時間、名前の確認の時。大〇 お前だな と言ってニヤリと気味悪く笑ったんですよ、怖えー

そして数学の時間、最初に毎回必ず小テストがあります。終わって点数を自己採点し川又先生が「100点手をあげろ」、「90点以上手をあげろ」、80点、70点と下げていき残り5人くらいのところで、「それ以下のものは職員室前廊下磨き」雑巾もって職員室前の廊下を10分くらい何往復も磨くわけです。

自己採点なので、他の生徒はどこまでちゃんと申告していたかわかりませんが、私は手の上がる状況を見ながら。大体、真ん中か三分の二くらい手が上がったところで手を上げていたのですが、テスト3回目くらいには私に目をつけ「お前。ちゃんと採点してるのか」といって毎回自己採点の時俺の横で見てるのですよ、これには参りました。私は3年の時一年間、1組にはいましたが数学の授業に関しては1年間ずっと、かかさず職員室前の廊下を磨いていました。三階から一階の職員室前への移動時間、雑巾を洗って干したりで、一年間数学の授業は毎回、半分しか出らませんでした。絶対ほかの生徒も適当に手を上げていたはずです、自分の数学の順位を考えれば私だけが1年間職員室前廊下磨き皆勤賞なんてありえへん事です。しかも廊下磨きは1組のみでしかやってませんでしたから。

この苦行も私が悪いと言えばそれまでですが。す ず き 君  君が黙っていれば全てが何事もなくうまくいったのだよ、だから私は鈴木君を忘れないのです。

「団長の一口メモ」

団長は中学時代は陸上部とサッカー部を掛け持ちしていたそうです。なんて爽やかな中学生なんでしょう。

私は毎日職員室前の廊下磨きに精を出していたというのに。

中学時代の団長は堂本光一のようであったとの噂もあります。堂本光一のルックスで頭がよくて、サッカー部  くうー憎いね団長 これは女子生徒がほっておくわけがない。

でも、団長は女性には見向きもせず、勉学と部活にその青春のすべてをかけたのである。

では、また