前回は屈辱的な土下座の話でした。高校生活の始まりは灰色でした、暗雲が立ち込めており嵐のような航海に船出を始めた心境でした。
この早実丸という船に乗った私は無事に岸までたどりつけたのでしょうか、それともタイタニックのように沈没してしまったのか。答えは私にもわかりません。
それでは高校生活の続きをどうぞ。
各位
早実でいきなり土下座になった私のその後のスクールライフです。
朝や帰りのホームルームの時間に担任の先生が「まあ君たちに言っても無駄だと思いますが、一応全クラスで伝える事になっています」と言っていた内容でいくつかは覚えています
・近所の家から、またクレームです。近所の家にごみは投げ入れないでください・・やるなと言われても、やめないのが早実生
・近所の家を覗かないように・・これは教室から見える家は仕方ないと思うのだが
・道を歩いている人に物を投げないでください・・誰が何を投げてるのか私も知らない
・走ってる車に物があたり学校にクレームがきています・・これ覚えてるんだけど、バスケットボールを当てられたと抗議がきたって言ってた
・地下鉄早稲田駅から、おたくの生徒がホームに入ってきた電車を止める行動が度々あるので危険なのでやめてください・・・これ聞いたとき、どうやって地下鉄を止めるんだろう、それが聞きたかった。
・地下鉄早稲田駅からは、他にもホームのカメラを見えないようにふさがないでとか、前にも書いたように、突然の大声はみんな迷惑するからやめて欲しい・・野球部の伝統だから止めるわけがない。
・坂の上の学校からクレームです。登下校時のわが校の生徒に声をかけたりしないでください。・・・学習院女子の生徒に登下校時にナンパしてる奴がいるんだ、すげー、でも自由恋愛だろ、だけど抗議は早稲田高校や成城高校にもしてるのか気になった、多分早実だけに文句言ってきてると思う
当時、何の雑誌か忘れましたが、早実は都内No1ナンパ高に選ばれていました。また女子高生からも早実は人気が高く、文化祭には数千人くらいの女子高生で学校内や校庭が埋め尽くされていました。早実生の三分の一くらいは、ナンパは日常茶飯事にやっていたでしょう。まぶい学習院女子の生徒を見つけたら、条件反射のようにナンパする奴はたくさんいたと思います。
しょっちゅう、いろんな場所からのクレームが報告されていました。先生も言っても無駄だと思っていたんでしょう。
ハッキリ言って、学校は生徒を放任していたような感じですかね。
校内では、よく喧嘩がありました、ガタガタと音がしたと思ったら教室内で殴り合いが始まります。
結構、派手な喧嘩です。喧嘩がとにかく強いのが野球部です。彼らは喧嘩も鍛えていたのかというくらい強い。
クラスにいた甲子園出場の野球部員とヤンキーの喧嘩、子どもと大人の喧嘩でした。ヤンキーのパンチは一発も当たらないなか、野球部員は顔を持った瞬間、膝を相手の腹にキック、うずくまった瞬間に連続パンチ、あっという間にヤンキーは口か鼻あたりから血がだらだらでて戦意喪失。勝負ありです。
早実の野球部は強豪校の中では練習が緩く、練習時間もかなり少ないと言われています・・真偽はわかりませんが、多分日大三高などのスパルタ式と比べたら半分くらいしか練習をしていないんじゃないかなあ、有り余った時間と体力で喧嘩とかをしていたのかもしれません。・・・全部私の推測ですよ。それでもあの時代甲子園に何度も出ていたということは奴らは野球の天才だったのかもしれません。
当時の野球部の主将が〇〇高のバッチ取ってきて、みんなに見せていたという話を聞いたことを覚えています。これはビックリです。〇〇高は当時都内で最も恐れられていた高校ですから。やっぱ、野球部半端ないって感じです。
ヤンキーと少林寺拳法部の時は少林寺拳法部の生徒が「俺は部で喧嘩が禁止されているので、もし喧嘩したら部に迷惑がかかる。申し分けない喧嘩は出来ないんです」と土下座で謝ってその場が収まったり。・・この学校は謝る基本は土下座か?
とにかく血の気の多い奴が多かったので、いかに喧嘩に巻き込まれず、かわしていくかも大事になります。
完璧な真面目ちゃんは喧嘩には巻き込まれませんので三分の一くらいの生徒は安全地帯にいたと思います。
喧嘩に巻き込まれなかったら大丈夫と思ったら大間違いです。
この学校では私物がなくなるのは日常茶飯事。物がなくなっても、いちいち先生に言う生徒もいません。まさに自己責任なので、とにかく高価なものは持っていかない。
物を取ることを早実では「ぎる」と言っていました。ものを取られた時は「ぎられた」と言います。
取られたものを取り返すのは「ぎり返す」と言います。
早実生は朝玄関を入る時だけ帽子をかぶっている必要があります。この帽子がよく盗まれるんです。学生帽ってそれなりに高いんです。
私も入学してから数か月で帽子をぎられました。
仕方なく新たに帽子を買いました。買ってから数か月でまたぎられました。
もうこれ以上帽子を買うわけにはいきません。ここで新しく帽子を買ってもらっていては、この学校で生き残れません。
ただし、真面目ちゃんグループの中には親が何回も卒業まで買い続けていた生徒もいたと思います。
帽子をぎられたら、自分も誰かの帽子をぎるしかないんです。卒業までにいくつ帽子をぎられて、何個ぎったかは、わかりませんが、卒業時に私は帽子を2個持っていました。
二個買って、卒業時に二個持っていたので私の場合はプラマイゼロです。
予備の帽子を持っていないと、ぎられた翌日は帽子がない状態で校門チェックを受けることになるので常に2個は持ってる必要がありました。
帽子以上に熾烈だったのは、傘です。雨の日に高い傘なんてとんでもない事です。一発でなくなります。高校に入って一番最初に自分の傘がない日はすぐに来ました、みんなが傘とった後でぼろい傘が残っていて、それをさして帰るんですが、同じ過ちを繰り返す訳にはいきません。
弱肉強食のサバイバル高校生活ですから。
雨が降っている時、家をでる時は一番みすぼらしい傘で家を出て、帰る時は早い者勝ちで一番いい傘を取って帰るんです。これが出来ないとこの学校では生き残れません。
在学中は、いつも適当に傘を取って帰っていたけど、一度も「その傘は私のですから返して」と言われたことは、ありません。
多分、それくらいみんなが適当な傘を取って、さしていたんでしょう。
このような環境に適合してくると、やっと学校になじみ、早実最高というくらいに変わっていくんです。
住めば都と言うんですかね。入学当初にあれ程、嫌っていた学校。
慶応ボーイになるはずだったのに、俺は環境への適応が早いのかなあ。