ムットン調査団184、中学時代のスパルタ教育

各位

私は地元の中学校に義務教育だから、そのまま入っただけなので、他の中学校との比較などは当時なにも考えていませんでした。

一学年に生徒は約260名いました、一見、普通の公立中学校でした。

クラスはAからFまでの6クラス。普通の中学と最も違っていたのは地元の小学校から上がってきた生徒が学年全体で数十名しかいなかったことです。

地元以外は都内全域、神奈川、埼玉、千葉、茨城と一都4県の地域からまんべんなく生徒が通っていたことです。

地元の小学生の人数も減っていたし、中学受験でさらに地元の公立中学へ進む人数が減っていたんです。

私は中学受験はしていませんでしたが小学校ではクラスの三分の一以上は私立中学にいっていたと思います。

進学先は開成、麻布、早稲田、芝、などの進学校や共立、大妻などの女子校、野球がやりたくてスポーツ強豪校などにいくなどでした。

なぜ私が中学受験をしなかったと言えば、私立にいくメリットを知らなかったからです、どういうことかと言えば、たとえば慶応の中等部に入ればそのまま大学までいけること。

開成でも麻布でも、その他の受験校も高校へは無試験で上がれること。

そんな当たり前のことだと思うでしょ。いやいや子供って結構わからないものなんですよ。

中学受験の時期が終わって、初めて私立に行けば高校受験がないと知って、母親に「何で教えてくれなかったの、知っていれば中学受験したのに」と言ったことはよく覚えています。

その時、母親は「そんな事、知らないなんて思わなかった」と言いました。

まあ、大人の立場で考えれば、そんなこと言わなくても、わかっていると思いますよね。

それはともかく、私は地元の公立中学へ進学しました。

各クラスの中に同じ小学校から上がってきた生徒は二人か三人、その中学校の学区全体の小学校から上がってきた生徒は一クラスせいぜいて6~7人くらいしかいません。

あとは全員一都4県から通ってきていました。

どうやって学区外の子供達がその中学に入学出来たのかは、長くなるので省略します。

外から入ってきた生徒は大体2パターンです。私立受験に失敗してきた生徒、開成、麻布などを落ちて、高校受験でリベンジするタイプです。もう一つは私立受験はしなくて区域外就学として最初から私の中学を目指す生徒です。

高校に進学した後に付き合うようになった彼女もまさにこのタイプです、彼女の姉も二つ上の学年にいて埼玉から通っていました。

彼女の話はまた、そのうち再度、投稿します。

昔は希望者が大いので小学校の時の成績表などで、ふるいにかけられていたみたいです。

そんなわけで、教育熱心な家庭の子供達が集まっていたので最初からレベルの高い状態にあったんだと思います。

当時よく教師が「お前ら地元の中学に戻れば学年トップになるぞ」と言っていましたが、私の場合はそこが地元の中学ですから戻るところはありません。

中学2年が終わるまでは、他の中学とかわらない学校生活だったんだと思います。

中学3年になると一気に受験モードに切り替わりました。

前にも書きましたが英語と数学の授業は英数クラスと言って能力別クラスに分かれます。

朝は朝学と言って始業前に毎朝小テストがあります、私はよく遅刻をするので罰として廊下で正座しながら前かがみの姿勢で小テストを受けることが多かったことを覚えています。

夏休みは受験生にとって勝負の夏です、したがって夏休みは事実上なかったんです。

夏休み期間の半分は必ず学校に来て受験科目の勉強です、残り半分の期間は配られた用紙に書いてある塾(代々木ゼミナール他)を選びこれまた半強制的にいかされます。結果的に夏休みは半分学校、半分塾で全部なくなります。

よく覚えていることが一つあります、受験間近の昼休みだったと思います、校庭で遊んでいたら構内放送で職員室に呼びだされました。何だろうと行ってみたら、そんな時間があるなら勉強しろと言われました。

夏以降になると旺文社全国模試を生徒全員が何回か受けるんですが、先生がこの学年はついに全国1位になったと言っていました。

我々の一年上は優秀だったが、この学年は駄目だと春先によく言われていましたが、夏以降は最後まで旺文社、全国模試の学校順位1位をキープしていました。

授業がスパルタと言うより、出来る奴がやっている問題集をみんなまねして買ってやったりとか、友達がかもしだす雰囲気が否応なく受験勉強へと突き進んでいったのと、合理的な勉強方法を友達を通して身につけていったんでしょう。

この年、私個人ではなく、私の中学校の受験結果は素晴らしいものでした。

学年の人数は約260人です、そのうち今の筑駒、筑付、学芸大附属、開成などの超進学校に10~20人くらいだったかな、早稲田高等学院に50人以上、慶応日吉と慶応志木に合わせて70人以上。学区で一番難しい都立11群(日比谷、九段、三田)になんと100人以上の合格をだしたんです。その他、明大明治、立教、中大付属、青学、学習院女子、海城、城北などを加えると重複合格してますから、学年の人数を軽く超えてしまいます。

多分この年がピークだったと思います。

教師も夏休み返上で授業をしてくれたり、朝もはよから小テストと、よく文句も言わずにやってくれました。

私は地元だったので否応なし進んだ中学校でしたが、もっと他の自治体に住んでいてそのまま地元の中学に行っていたら、早実や日比谷には合格していなかったと思います。

もっとも私は中学の成績で言えば早稲田高等学院や慶応には合格できるところにいたんです。そういう意味では私の高校受験は失敗だったんでしょうね

私の詳しい高校受験については、近々書きますので今日はこのへんで、んじゃ。