ムットン調査団190(68高校入学直後の屈辱)

各位

前回は高校に入学したところまで、でした。

さて当時、早稲田駅を使う高校4校ありました、4校ともそれなりの進学校なのですが、明らかに早実だけ異質な雰囲気を醸し出しています。野球部に代表されるようなスポーツ命の硬派な生徒達、長年の伝統によりヤンキー化した軟派な生徒達、それに早稲田高校や成城高校の生徒のような賢そうで超真面目チャンな生徒達。まあ全てのタイプの集合体のような学校でした。

早実は当時、暖房は無かったので入学試験の時にコートを着たままで試験を受けた唯一の高校でした。入学後は冬になると、みんな寒さに耐えられずに、はっきんカイロを全員持参していました。カイロなんて使ったことないから胸のシャツのポケットにタオルハンカチをまいて使っていたのに低温火傷になり、胸のあたりの皮膚がべろっとはがれたことがありました。

高い金払ってんだから、暖房くらい、いれろよと思いました。幼稚園から小学校、中学校と暖房はあったし、暖房は当然あるものだと思っていましたから暖房のない学校は少しショックでした、冷房は望むべくもありません。

校内がまた汚い、革靴のまま教室に入るので上履きという靴は存在しない。

昼に弁当を食べた後、紙パックのコーヒーなどをごみ箱に捨てないで、そのまま自分の机の横に捨てるから午後になると教室はゴミだらけになる。

あんな汚い教室、他にあるのかねえ、しかも午後の授業になっても先生達も特に注意をしないし。

この学校の生徒は一般的道徳心が欠如しているのか、長年の校風が生徒をこうしてしまうのか。と当初は嘆きました。

そんな教室ですが、授業が終わった後の掃除当番があり、でかいごみはアイスホッケーみたくシュートして教室の後ろに集めて、ごみ箱に入れてました。

あとは、みんな適当に掃いて掃除は終わりです。なので朝の教室はデカイごみは無くなっています。

そして、この学校に入って一週間たった日、私は掃除当番で廊下を掃いている時、三人のヤンキーな生徒達が私の前を通りすぎていきました。

三人とも髪はリーゼントで通り過ぎる時に目は合いました。

私は、ほうきで廊下を掃いていたので、通りすぎる生徒を見る姿勢は中腰なので、多分上目遣いになっていたんでしょう。

通りすぎた三人がすぐに引き返してきて、私に「それが先輩に対しての目の使い方なのか」と言ってきたんで、これはまずいと思い「すいませんでした」と速攻であやまったのですが。

「ついて来い」と言われたので、やばいなこれはと思ったけど、逃げるわけにはいかないのでついていきました。

ちなみに、この頃は入学したてだったので、髪は普通に軽く分けていた感じですかね。いつくらいかは、忘れましたが私も変化していき髪は軽いリーゼント風にして、ズボンのすそはかなり細くつめて、襟の白いカラーは当然つけない、カバンはマディソンスクエアガーデンのカバンを女性がハンドバッグを手にかける感じで手にかける。紙袋なら三峰の紙袋。靴はリーガル。似ていてもハルタなんて履いてたら早実では馬鹿にされます。まあ当時の高校生のスタンダードに近い感じだったと思う。

通学途中でもよくガンつけられました。目つきが、きついせいですかねえ。

朝のJRの飯田橋の改札を出る時、改札入ってきた学生がすれ違いざまに、「てめえ何ガンつけてんだ」と言われ、無視してそのまま出て行ったら、追っかけられたりとか、そんなことがよくありました。

ちなみに野球部はズボンは、だぼだぼのボンタン、ベルトは超細く、靴下はスケスケの黒、靴は先が尖った黒の革靴、学ランは部員によっては中ラン(長さがやや長い)これで髪もそりこんでるから迫力満点です。実際喧嘩も強い奴が多い。

話しを元に戻します。

三人の先輩は、階段をどんどんと登り続けて、屋上まできたので、あー中学の時も屋上呼び出されて殴られたたなあ。嫌な記憶もフラッシュバック。このパターンは最悪パターンだ殴られるのかなと、内心はドキドキでした。

屋上にはプレハブ小屋があり、そこに入れと指示されたので、ここでボコボコにされるのかと覚悟し、その中に入ると先輩が「謝れ」と言うので

「すいませんでした」と再度、謝ったんですが

「謝るなら、ちゃんと土下座して謝れ」と言ってきました。土下座なんてしたことなかったけど、土下座しなかったら、この3人にボコボコにされるのは見えています。しかも外からは誰も見えないプレハブ小屋。ここは逆らっても先は見えているので、その場で土下座して謝りました。

土下座なんて本当したくなかったですよ、一度もしたことないし、屈辱じゃないですか。でも、あの時の俺に土下座なんか出来るかと言って喧嘩をする度胸は無かったなあ。土下座をするしかなかったんです。

先輩達は私が歯向かってくると思ったのか、「ちぇ、つまらねえな」と言って、「今度、あんな目つきしたら、たたじゃすまねぞ」と捨て台詞をはいて出て行きました。

殴られなくて土下座ですみました。

でも土下座ですよ。半沢直樹の倍返しだって最後に香川照之が最もしたくなかった土下座をして終わるんです。

品のよい区立中学を卒業し、早実入学一週間で受けた洗礼は強烈でした。

土下座をして謝ったのは、今までの人生この1回だけです。

慶応日吉か志木に合格して、今頃慶応ボーイとして洗練された高校生活をおくるはずだった。日比谷を選んでいれば名門進学校にあんなガラの悪いヤンキーは闊歩していなかっただろう。

こんな未来は予想だにしていなかった。放課後に早実の汚い校舎の屋上で屈辱的な土下座をさせらるとは、情けなくて泣きそうな気分でした、

しかも、理不尽な言いがかりで。家に帰ってから自分の高校選択を誤ったと絶望的に落ち込みました。こんな高校なら行かなけりゃ良かった。

自分で選んで行った学校だから誰にも愚痴は言えずに、自分自身に「3年間の我慢、我慢」と呪文のように言い聞かせていた。

それでも、日々こんな高校生活が3年間続くのか、俺は耐えられるのか、やっぱ日比谷に行けばよかったと後悔の日々でした。

近所に住んでいる幼友達は九段高校に入学して毎日、楽しそうに高校生活を語るから、俺の高校生活とは天と地ほどの差があるやん。

何だかクラスの話も、部活の話もみんな楽しそうな話で、キラキラと眩しい話に聞こえました。

このような男子校を生き抜くには、たくましくないと生き残れません。サバイバル高校生活の始まりです。

団長は共学で女子にキャーキャー言われていたので、まばゆい青春だったらしいです、〇田君は会長より自分のほうが充実していたと言っています。

んじゃ、また