ムットン調査団207(86、滅茶苦茶になった歌舞伎教室)

早実歌舞伎教室

私が高校生だった当時、東京都は都内の高校生2年の学年全員に歌舞伎を見せるという「歌舞伎教室」という事業をやっていました。

伝統芸能を高校生に見せて、日本の文化の継承とかを考えていたんですかねえ。

この事業は何をもって成功で、何をもって失敗だと判断したんでしょう。

私の子供たちは二人とも都立高校だったけど歌舞伎教室なんて、行ってないからこの事業は廃止されたんだと思います。・・・てっきりとうの昔に無くなっていると思ったら、最近東京都が高校生対象の歌舞伎教室の事業を廃止すると新聞でみたので、あの頃から、ずっとやっていたことがわかりました。希望した学校だけが行っていたのかなあ。でも残念ながら廃止になるんですね。

まあ、高校生に歌舞伎を見せても猫に小判か、団長に赤門みたいなもんで、感動する生徒は、ほとんどいなかったと思います。

私が中学3年生の時も区の独自事業で雅楽教室という事業があり東御苑の中で宮内庁楽部の演奏を聴くんですが、日本の伝統音楽に触れるみたいな意味合いは同じなんでしょう。始まるまではワクワクするんですよね。雅楽は最初こそ、すごい音でビックリするんですが、じきに似たような音楽が延々と続きみんな飽きてしまう。

歌舞伎教室に話を戻します。

当日は現地集合だったと思いますが、会場がどこだったか忘れました。

国立劇場だったと思うのですが、はっきりと覚えていません。

早実の1つの学年450名全員は余裕で入る劇場で、他の席は一般のお客さんが入っていました。

始まるまでは、初めて観る歌舞伎に少しはワクワクしていました。

そして、幕が開きました。始まり始まり、とざいとーざい。

芝居は始まったのですが、全く面白くない、多分他の大多数の生徒もそうだったのでしょう。

芝居の中身は全く覚えていません。

だいたい何を喋っているのか、わからないから話が見えないんです。

これじゃあ、みんな歌舞伎嫌いになっちゃいますよね。

初めて観た宝塚「白夜我が愛」は今でもセリフと歌の一部を覚えてるのと、大違いです。

まあ、歌舞伎はそれくらい、つまらなかったと言う事でしょう。

この経験がトラウマで歌舞伎イコールつまらないが私に染み込んでいます。

でも、この歌舞伎教室は面白い事になっていくんです。

淡々と舞台が進めば、多分かなりの生徒は静かに眠りについたでしょう。

しかし、歌舞伎には客が掛け声をかける習慣があったのです。

歌舞伎の途中でお客が、掛け声をかけます「中村屋」とか「成駒屋」や「いよっ」とか「待ってました」などです。

そこで、少し掛け声について調べてみると

昔は一般の客が普通に掛け声をかけていたみたいですが、今は掛け声の専門家「大向こう」さんが、ここぞというタイミングでいれるそうです。

また、この掛け声は歌舞伎の重要な要素の一つで、掛け声には客席と舞台をを盛り上げる効果と、もうひとつ、役者が気持ちよく演じるためという意味も備えているそうです。

掛け声を掛ける際には、なによりもお芝居の雰囲気を壊してしまわないように配慮することが第一だそうです。・・・ここ重要です

台詞の途中で掛け声をかけてしまったり、名前を間違えたりしては、盛り上がるどころか、舞台が台無しになってしまうそうです。・・・うんうん最もです

大方の早実生の眠りを覚ます大声が館内に響きます「中村屋!」

まさに太平の世をぶっ壊す、黒船の大砲のような一撃です。

これで、全員目が覚めて完全に覚醒しました。

最初は、いきなり掛け声で度肝を抜かれた早実生ですが、ここでじっとしている訳がありません。次の掛け声の時、客が「中村屋」と言った時、早実生の誰かが素早く反応して「中村屋」と言ったんです。

みんな、誰だ言った奴は、やるじゃないかと思ったんでしょう。

ここまでは、良かったんです。・・良くはないけど許せるかなあ

次の掛け声の時には、一気に人数が増えました。多分10人くらいの生徒が「中村屋」と声をかけたと思います。

ここまで来ると、もう止まりません。次の時は何十人もの生徒が「中村屋」を連呼したんです、しかも最初の掛け声から最後に言ってる奴は時間的にもだいぶあったから、芝居の台詞に完全にかかっています。

ここまでも一応、「屋号」は間違えてないので、はぎりぎりOKとしましょう。

今思うと、この辺まできたら先生達が止めにはいるのが普通だと思うんですが、放任主義なのか誰も注意に来ません。

これは、さらなる状況を助長を許してしまいます。

次の掛け声の時です、「中村屋」の連呼の中で「高橋!」と歌舞伎役者と関係のない友達の名前を叫ぶ奴がでてきたんです。

「おーそれがあったか」と気づかされた阿保な早実生は、次の掛け声の時は「田中」「山田」「鈴木」とめちゃくちゃな掛け声になり、みんな芝居よりそっちのほうが面白くなってきたんです。もうアウトです、しかも制御不能状態です。

そして、とうとう最後は掛け声のタイミングは無視して芝居中に勝手に「田中!」「佐藤!」「高橋!」とめいめいが好き勝手に友達の名前を叫びはじめ、もう芝居は崩壊状態でめちゃくちゃでしたね。

早実生を連れていけば、そうなるほうが自然だとは思いますが。

翌日、担任は「まあ君たちを連れていけば、ああなる事はわかっていました。一般客はそうとう怒っていたし、劇場からも、こんな事今まで一度もなかった、ひどすぎる」と厳重な抗議がきていたそうです。担任はいたってのんきに「本当に恥ずかしいのでああいう事はやめてください」と、諦め口調でとりあえず言いましたとう感じでした。

普通の高校なら歌舞伎を見ている時にあんな掛け声かけたら担任がすぐに注意をする、それでも続けたら、その生徒を外に連れ出す、翌日職員室に呼んで厳重に叱る。これらの行動を学校側が全くしないので、早実生は好き勝手に行動する癖がつてしまったのではないか。

多分、昔の不良高校時代の先生たちは指導なんて無理だったので放任していたんでしょう。それが急に進学校になって先生達が生徒の変化についてゆけず、昔のままの放任を続けてしまったのかな。

まあ、そんな環境の中で早実生は、恋愛に喧嘩、勉学にスポーツと高校生活を謳歌して大半は早稲田の大学生となっていったのである。

それにしても、金を払って歌舞伎を見ていた一般客に金の払い戻しとか、したのかなあ。

あの後、次の学年の早実生は歌舞伎教室にいけたのか?

あの頃の俺たちは、いつも刺激に飢えていた、刺激求めて群れる狼にでもなりたかったのかな、狼は群れていなきゃ一人じゃ何も出来ないし、そもそもみんな狼になんて、なれるわけがなかったんだ。みんな生まれた時から首輪がついていた飼い犬だったんだから。

俺たちは、自由をはき違えた、くだらない不良ごっこをしていただけなんだと思う。

本当の自由とは何なのかは、自由に伴う責任と義務。誰にも縛られない心の自由。この歳になった今でも真の自由とは何なのか、わからない。

人生に迷った時は団長に聞くのが一番です。

団長曰く「愛するものは平和、求めるものは自由、これこそがムットン調査団の不変の真理である、心理の追求に終わりはない、死ぬまで己の真理を追い求めよ」

さすがです団長。おいらには何を言ってるのか、わかりません。

でも、掛け声は忘れてないですよ。どこかで急に団長が現れたら「いよっ待ってました、団長、18番」と心の中で叫びますから。