ムットン調査団187(67高校入学)

各位

皆さんは高校入学は団長のように希望に満ち溢れていましたか?それとも希望がかなわなくて失意の中での入学でしたか?

私は希望も失意もなく、迷い続けたままの入学でした。

私の母校、早稲田実業大隈重信が創立し120年の歴史があります。

当時は早稲田大学の間近の早稲田鶴巻町で男子校でしたが、2001年に国分寺に移転し男女共学になり初等部まで併設。今現在、早稲田大学への進学率100%(私の時代は早稲田への進学率は7~8割だった)、現在の校舎は淡いピンク色で完全にお坊ちゃん、お嬢さん学校に変わっている。芸能人の子供を小学生にいれる人気を慶応の幼稚舎と争っていると言う。

私の時代にもし早実が共学でこんなに品が良かったら、入学当初の頃あんなに落ち込まなかったよなあと思います。

さて、私が早実に入学した時の話をします。

中学3年の都立高校合格発表の後、一旦は日比谷高校に入学手続きまでしましたが、悩みに悩み入学辞退届を出して、最後は早実に決めた話はしましたよね。

共学での楽しい高校生活を捨てて、男子校に入ったわけですが、入学してからは後悔の連続でした。

私にとって日比谷高校という名前はやはり当時はキラキラとまぶしく光っていたんです。

それに対して早稲田実業という名前が入学当時は嫌だったんです。特に実業の文字が嫌だったと記憶しています。

3年間の辛抱をすをれば早稲田大学に入れるんだから、これでいいんだと自分に言い聞かせて入ったのだが、入学当初は、こんな学校なら入学するんじゃなかったと、ひたすら後悔していました。

早実の名前は野球で全国に知られており、王貞治をはじめ多数の野球選手を輩出していました。

ただ、私が入学する頃の早実は春も夏も15年くらい甲子園から遠ざかっており、自分の中で野球の強豪校のイメージは全くなかったんです、私が物心ついてから中学3年になるまでの間、春も夏も一度も甲子園に出てなかったので私の周りの同世代は野球の強豪校とは知らなかった人も多かったのではないかと思います、それが突然、早実は私が入学した頃からまた急に野球が強くなり私が在学した3年間で春夏合わせて4回甲子園に出場する強豪校に復活したんです。

長らく甲子園に縁のなかった早実が何でまた野球強豪校として復活したのかはわかりません、荒木大輔斎藤佑樹清宮幸太郎など甲子園のスターを時々輩出しています。

入学した頃は、この野球の強豪校というイメージも好きじゃなかったんです。

早実は野球以外でも、そこそこの有名人がたまに輩出されています。最近また注目をあびてきた竹久夢二早実OBです。重光武雄ロッテグループ創設者など財界人や学者もそこそこいる。

政治家は今現在、現役の大臣は萩生田経済産業大臣・東京24区・・現在は大臣ではなく自民党政調会長、一緒に大臣になって、すぐに辞めた菅原元経済産業大臣東京9区(社会科学部)・・・現在は議員辞職して次の選挙に向けて浪人中?や平将明(法学部)東京4区当選6回・・そろそろ大臣か? 他に小林学(社会科学部)東京5区衆議院議員、杉本和巳(政経衆議院議員など政治家も割と多い。

また、時代の寵児と言われるような人がたまに誕生する。

私の学年の少し上にいた小室哲哉(社会科学部)・・・現国分寺の校舎には彼の寄付で建った小室哲哉記念講堂がある。

ZOZOTOWNを作り宇宙旅行に行った前澤友作

今の流行りだと少しマイナーになるけどAAAでSKY-HIの日高光啓(社会科学部)

将棋の中村太地7段、元王座、34歳 将棋の世界では一番イケメンだと思うのだが

ジャンルに関係なくユニークな人間が育つ学校なのかもしれません。

OBはさておき、早実はとにかく、その校風に慣れるまではとにかく大変だったんです。

早実」の名で知られる早稲田実業だが正式に高校名を書く時には、「早稲田大学係属早稲田実業学校高等部普通科」と大変長い校名である。

何はともあれ、自分で選択したわけですから、文句は言えません、まずは入学式なんですが一番よく覚えているのは、足の踵がめちゃ痛かったこと。

入学式は大隈講堂で行われます。国分寺に移転した今も入学しは大隈講堂で行っているみたいです。早稲田OBにとっては、いつまでも心のふるさと大隈講堂です。

入学式に合わせて買った新品のリーガルの靴を履いて行ったら会場に着いた時はかかとが痛くて痛くて皮がむけて血がにじんでた。とにかく痛くて歩くのやっとだったことを、よく覚えている。

入学式は中学からの持ち上がりが半分いるので、そいつらがしゃべり続けているので俺たち高校入学組は、気分は外様気分、担任の発表があるたびに持ち上がり組が歓声や、ヤジを飛ばしており、まあうるさい入学式だった。中学のような規律正しい厳正な雰囲気での、入学式や卒業式に比べ何とラフな式なのだと思った。

翌日から通学が始まったわけだが、まず、びっくりしたのが突然の「うおー」という雄叫び。もの凄いでかい声で道だろうと電車の中だろうと野球部の生徒は遠くに先輩が見えると「うおー」と雄叫びをあげる。先輩野球部員が一人しかいなくても、後輩がたくさんいる時は雄叫びの嵐である。「うおー」「うおー」「うおー」と。

最初に雄叫びを聞いた時は、何事が始まるのかと本当びっくりした。

また、この雄叫びは一般人も相当ビックリするので、早稲田駅高田馬場駅から学校に定期的に苦情が来ていた。今もやっているのかなあ国分寺

地下鉄の早稲田駅を使う高校は私の通った早稲田実業の他に早稲田高校、成城高校、学習院女子高校が利用していたのですが、当時、駅からの苦情は早実に集中します。

ちなみに、学校間の距離は早実と早稲田高校は道隔てた対角線の場所にあったけど、お互いに全く無関心でしたね。当時も今も早実と早稲田高校とは偏差値は大体同じです。早実生が嫌っていたのは早稲田高等学院でしたね。

当時、早稲田大学の付属系列の高校はこの2校だけだったので、近親憎悪のような感情がありました。多分学院も早実を嫌っていたと思います。

成城高校と学習院女子は駅を出ると早実とは逆方向で距離も早実から結構離れた場所でした。

成城高校に関しては早実生は、眼中になしです。・・当時の感覚ですよ今、成城高校に対しそんなふうに思ってませんので、あしからず。

学習院女子は、憧れのマドンナような感じでしたかね。

今回は学校紹介みたくて、つまらなかったと思います。

そんな早実に入学してから一週間で小さな事件(私にとっては忘れられない事件)が起きます。それは次回以降で。んじゃまた。