各位
自分が学生の頃教師にだけは絶対なりたくなかった
何でなりたくなかったのか、深く考えたことはないので、理由がハッキリしていない。
無意識の中で教師を嫌っていたのかもしれない。信用できる教師は小学校から高校卒業するまでで、わずかしかいなかったから。逆に嫌な教師はごまんといた。
でも40代くらいからは、教師もいいかもなとも思うようになった。
ただ、担任をもって生活指導とか、クラブの顧問とかやっぱり無理。
例えば日本史を教えるだけの中学や高校の先生って、いいよなとたまに思うわけさ。
好きな学科なら自分でいくらでも深く勉強出来て、それを教えればいい訳だから。それだけなら楽しいよね。
だけど、一人ひとりの生徒に寄り添い、その家庭環境まで考慮して、その生徒のことを考えてたら、やはり私には荷が重い。
学生の頃、教師になりたくなかったのは小学校の5年、6年の時の担任が特に嫌いだったせいかもしれない。
生徒への極端なえこひいき、こちらの感情を逆なでする発言や行為。多分、その先生はそのことで生徒が傷ついていることを気づいていなかったと思う。
教師の話はこのくらいにしておきます。
今はちょうど3月ですから卒業式のシーズンですよね。
そこで今回は小学校の卒業にかかわる話をします。
卒業式の日だったか直前に卒業アルバムをもらいますよね。みなさんは小学校の卒業アルバムを持っていますか?
私は家の中で卒業アルバムのある場所はわかっていますが、とても取り出せない場所にあり見る事は、諦めています。
私の小学校の卒業アルバムは写真集の後に生徒がいろいろ書いたものが一体となっているものでした。
その卒業アルバムに「将来何になりたいか」と「20年後のあなたは何をしていますか」を書くコーナーがあるんです。
若いころは、なんとも思っていなかったのですが、最近ふと、その事を思い出してよくあんな事、書いて、学校もそのまま載せたよなと思ったんです
何になりたいかは、問題になるような事は書いていません。
男子はプロ野球の選手、パイロット、新幹線の運転手などが多かったですね
女子はケーキ屋さん、パン屋さん、幼稚園の先生とか
私は「内閣総理大臣」と書きました。これは本当にそう思っていたわけじゃなく何となく書いてしまった感じですかね、よく覚えないんですが小学校の頃、学校が終わって帰ったら国会の委員会中継をやっている時がよくあり、あの時は論戦を楽しいと思って見ていた記憶があります。その影響で書いたのかもしれません。
でも、なんとなく他の生徒のなりたい職業と比べると浮いてる感じがしますかね。
問題は20年後に何をしているかの記載です
みんなが何を書いていたか思い出せませんが、女子などはお嫁さんなどと書いてあったような気がします。
そして私はなんと、「日本最大の〇〇団、〇〇組の幹部になって花札賭博をしている」と書いたんです。
もちろん、〇〇のところには実在する団体をしっかり書いています。
ひょえーですよね、自分の息子がもし小学校のアルバムにこんなこと書いてたら絶対に怒って、𠮟っていますね。
悪ふざけもいい加減にしろ、やっていい事と悪いことがあると言ってますね
これ、私がもし担任だとしたら絶対にまずいと思って書き直させると思うんだよね。
それとも、みんなが何を書いたチェックしないまま印刷されちゃったのかな。
後で校長、教頭はこれ見てどう思ったんだろう。
それとも、大らかな時代だったから何も問題なかったのかなあ。
特に学校でも自分の家でもこの事が話題になった事はなく、当然自分も何も感じてませんでした。やはり何でもありの自由な時代だったんですかね。
小学生だから、許されたのかなあ。まだ責任を取ることのできない未成年者だから。
大人は常に行動に対しての責任が付いてくるからなあ。
でも、俺たちそんな立派な大人になれたかなあ。なんだかガキのまま大人になってしまった気がする。
多くの人が生き方とか、道徳とか倫理とか国のあり方とか、あまり考えずに大人になってしまい、世の中全体がモラトリアムの時代になってしまったんだろうか。
んじゃ。