ムットン調査団112 白い道

各位

 

中学1年の時に父親が私にスポーツタイプの自転車を買ってくれた日は嬉しくて今でもその日のことをよく覚えています。

もちろん、小学校の時から乗っていたサイズが、やや小さい自転車はありました。

周りの友達はみんな大人用のスポーツタイプの自転車に乗りかえています。

私もみんなと同じスポーツタイプの自転車が欲しいと親にずっと言っていたので、買ってもらった時はそれは嬉しかったです。

買ってもらった日は家の中に新品の自転車を入れて、ずっと眺めていました。ギアは5段変速で後ろにはランプは沢山ついており曲がるときに赤やオレンジのランプが点滅するんです。

中学生の私にとっては宝物を手にいれたような気分です。その気分の高揚は大人になって初めて車を買った時より、ずっと興奮していたと思います。

翌日から新しい自転車は私の足になり、どこに行くにもその自転車で行きました。また親友のAとは日曜日の度に自転車に乗って少し遠出をしていました。

日曜日の午前中に待ち合わせをして、どこに行くかを決めます。

ただ行くだけでは面白くないので、何らかの目標も考えました。

そこで、学年の可愛い女性が住んでいる町を見に行こうという目標を持って毎週自転車に乗っていました。・・これはストーカーではないでしょう、毎回違う町を目指していましたから。横浜、川口、市川くらいまではよく行きました。

この当時は住所から電話番号まで連絡網などに全部でていた時代です、公立中学でしたが東京、神奈川、埼玉、千葉、茨城からみんな通っていたので、行く範囲が広範囲になったのです。

行きはよいよい帰りは恐いとは、よく言ったもんで帰る時は毎回、ヘロヘロでした。

目標があれば、あの娘の住んでいる町に行くんだというのが力になって頑張れますが、帰りは何も目標がないので本当に疲れます。

人生も大なり小なり目標を持っていないと駄目なのかもしれません。

真夏に出かける時も水筒なんて持たないしジュースなんて途中で買ってたら一日で一か月分の小遣いが吹っ飛んでしまいます。公園を見つけては水のがぶ飲みをしていました。

横浜に行った時などは真夏でした、とにかく喉はカラカラ、体はヘロヘロで帰りの体力は限界に近かったですね。

でも中学生の時は一晩寝れば、体力は全回復して普通に学校に通うわけです。

まあ、そんなわけで買ってもらった自転車はフル活躍で使っていました。

あの時の私には、なくてはならないスーパーカーだったんです。

そんな私のスーパーカーがある時、変則ギアか何かが故障し乗れなくなってしまったんです。大事な愛車の故障です、すぐに修理をしないと友達と遠出が出来ません。

親から教えてもらった、歩いて10分くらいの所にある自転車屋さんに持っていきました。

店に入り自転車の状態を説明すると、「うちでは直せないから、直せることが出来る店を教える」と言うのです。

店の主人は六十代くらいだったと思います。

ちょっとがっかりです、また自転車を持ったまま歩かなくてはならないので。でも直さないと乗れないわけですから仕方ありません。

店の主人が、店の前の道を指さして「ここに白い道があるだろ」と言ったんです。

私は、ん?白い道?この横断歩道のことを言っているのかなあ?

そこで私は「ここに見える横断歩道の白い道ですか?」とたずねると

店の主人は「そうだ、この白い道だ。この道を渡りまっすぐ歩くと、また白い道にでるので、そこを左に曲がって100mくらい歩くと店に着くよ」と言うのです。

私は、えっまた白い道かよ、こんな道案内初めて聞いた。もっとわかりやすく説明してくれないかなあと思いました。この道をまっすぐ歩くと、また横断歩道がでてくるんだなと解釈しました。だったら横断歩道って言ってくれればいいのに、わかりづらい。

また確認します「この道をまっすぐ歩くとまた白い道があるんですね?」

主人は「そうだ、白い道がある」

普通こんな道案内するかねえ、横断歩道を白い道なんて言わないよなあ

店の主人にお礼を言って、店の前の横断歩道を渡り、まっすぐ歩くと店の主人が言っていた横断歩道が確かに現われたので、そこを左に曲がり歩いていると目的の自転車屋に着き、その場で修理をしてくれて無事に我が愛車は元のように動くようになりました。

私はこの時の店の主人との「白い道」という奇妙なやり取りが印象的だったのでずっと覚えていました。

横断歩道がある道を白い道なんて普通は言わないよな、変なオヤジだなと頭の中の記憶にしっかりと刻まれたんです。

そして、どのくらいたった時だかわかりませんが、大人になって、あー、あの時、店のおやじさんは、こう言っていたんだと、やっとわかったんです。

もう気づいている人もいると思います、そうです、このおやじさんは江戸っ子だったんです。江戸っ子は、「ひ」が言えない人がいます。「ひ」は「し」としか発音できないんです。

職場にも広島をしろしまと発音していた江戸っ子がいました。

大人になって初めて店のおやじさんは普通の道案内をしていることに気づきました。自分の中での謎が一つ解けた感じでした。

そうか、そうか、そうだったんだと中学の時の謎が解けて、一人で少しニヤリとしましたね。

私も下町生まれですが「ひ」はしっかり発音できます。

ただ若い時にパソコンの文字変換で「必要」という漢字が変換されなくて近くの職員にこのパソコン、いくらなんでも、おかしいよ、こんな優しい漢字が変換されないと文句を言ったら、「ひつよう」だよ、「しつよう」じゃないよと言われました。

道理で変換しても「執拗」しかでないわけです。この時まで必要は「しつよう」だと思い込んでいました。20年以上、普通に会話で「しつよう」と発音していても、誰も違和感がなかったんだと思います。皆さんも、ためしに必要を「しつよう」と発音して誰かと話してみてください、誰も気づかないはずですから。

でも「白い道」は絶対に「広い道」とは聞こえないんです。

「ひ」が言えない江戸っ子もめっきり少なくなり少し寂しい気もします、あと10年もしたら「白い道」はなくなるでしょう。でも江戸っ子の心意気だけは残していきたいもんです。