ムットン調査団180、危険な自転車レース

各位

子供の頃って結構危ないことをやったりしませんでしたか?

私が今思い出しても危ないと思うものの一つに小学校時代、仲間とやっていた公道での自転車レースがあります。

自転車を手にした男の子なら、友達と速さを競ったりしたことは、しょっちゅうあったと思います。

そんな普通の男の子達だったんですが場所はコンクリートジャングルの都会ですから公園や広場なんて、どこにもなかったんです。

今もそれは同じですけど、レースは多分していないでしょう。

日曜日に自転車で集合して遊んでいたんだと思います、どうしてレースを始めたのかまでは覚えていません。

人数は5~6人くらいでやっていました。場所は神田の街中です。

神田の街中は場所にもよりますが日曜日は人も車もかなり少なくなります。

出発からゴールまでほとんど区道で途中何度も直角に曲がったりするコースで5分くらいで完走できるようなルートを設定します。

小学校の5~6年の頃ですから、みんなかなりのスピードを出します、スポーツ自転車に乗っている奴もいました。みんな小学生だったので交通法規なんてしりません、一時停止や一方通行なんて知りませんから、猛スピードで時には道幅いっぱいに並んで走りました。

もし曲がった瞬間に車がいたりしたらアウトでした。たまたま運がよくて事故にあわなかったということです。

のどかな時代だったんでしょう、家の前の道で自転車レースをしていても誰も注意しないし、警察への通報も一度もありませんでした。

僕らは、さらに刺激が欲しくなったんだと思います。

平な道路を猛スピードでレースをしていたって危険きわまりないのに、さらに危険なレースを始めました。

坂道をコースに入れたんです。お茶の水から淡路町に向かって下る坂をレースのルートにいれました。JRの線路よりの坂はお茶の水から神田や秋葉原にいく電車の中からも見える坂です、並行してる坂もあり当時の僕らはその坂を第一幽霊坂、第二幽霊坂と名付けていました。現在も一つの坂が幽霊坂として標識がたっています。長さは約190メートルと書いてあるみたいです。

この幽霊坂の頂上をスタート地点にして完全に下がり切る前に右に曲がります。幽霊坂も右に曲がる道も広い道ではありません。

スタートを切ったあと全員猛スピードで坂を下ります最高スピードに乗ったところで直角に右に曲がります。

このレースはよく覚えているんです。右に曲がるときに2~3台の自転車がカーブを曲がり切れずに大クラッシュ。勢いがついてのクラッシュですからみんな激しくぶっ飛びました。またクラッシュに巻き込まれなかった自転車もスピードが出すぎていてカーブをまがりきれず単独で吹っ飛んでいました。

私はクラッシュの中に巻き込まれていました。みんな激しく転倒し吹き飛ばされたのに奇跡的にけが人はいませんでした。

もちろん擦り傷などはみんなで来たので無傷とは言わないけれど、でもまあすり傷ですみました。そのあたりは人も住んでいなかったし会社も休みで僕ら以外は誰もいなかたので、派手に全員が吹っ飛んでも通報などされませんでしたから、まあ何もなかったと言うことです。

あの時、右に曲がった時に車が来ていたら大事故だったでしょう。クラッシュだって、みんな派手に吹っ飛んでたから打ちどころが悪ければ危なかったと思います。

あのころの僕たちは、たまたまですが無敵だったんでしょうね。

そんな大クラッシュをしたって構わず、毎週第一幽霊坂や第二幽霊坂を使って命知らずのレースをしていました。

小学生の高学年は体も柔らかく吹っ飛んでもうまく受け身が出来ていたんでしょう。

大事故にならなかったのは、たまたま運が良かっただけなのに。本当に子ども達の行動ってのは怖いですよね。

今も昔も子供達は、まあ親の知らないところで結構、危険なことをしているってことでしょう。

でも子供は常に刺激を求めて冒険をします、グーニーズのようなわくわくする冒険を求めていたのかもしれません。

大人になっても冒険が好きな人は一握りでしょう、冒険は実際にするものでなく見るものに変わっていきます、安全は居間でインディジョーンズを見て終わりにします。

大人になってからの私は冒険なんて、これっぽちも望んでいませんでした、むしろ平凡で安定した心安らぐ人生を求めていました。

実際の人生は冒険なんか求めていなかったのに、いつも冒険よりハラハラすることの連続でした。人生とは皮肉なものですね。