ムットン調査団198、太陽の季節

各位

夏休みという言葉はこの歳になっても、なぜかワクワクするものがあります。小学校に入学してから毎年やってきた夏休み、学校から解放されて自由な毎日、勉強しなくていいし、遊ぶことだけを考えていた、親もいろんな場所に連れていってくれたし、家族旅行にも行った。高校生や大学生になれば友人や恋人とのドライブ、海、プール、遊園地、旅行など楽しいことが凝縮された季節であり、何とも開放的な気分になる。夏休みは小、中学生の時は40日、高校、大学になると2か月くらいあった。・・・今の大学は一か月くらいしかないところが結構あるみたいです。

そして社会人になると学生時代のような一か月、二か月と長期で休める事はなくなりますが年休の他に5日間の夏季休暇があります。

夏以外の時期に仕事を休むのは家の用事などで休まざるえない時に休みますが、夏休みは何も用がなくても休みます。

5日間ですが土日につければ3連休、3連休の時につければ4連休になり結構休めます。

私も用はないけど明日は休んで4連休にします。

この時期はどこの職場でも夏休を取って休んでいる職員がたくさんいるので、みんなすごく休みやすい雰囲気になります。

管理職も例外ではなく、この時期だけはみんな夏休をしっかりと取り、英気を養い。来る9月からの決算議会に備えます

私も毎年、夏休みは子ども達を旅行やドライブ、遊園地、動物園、博物館、プール、花火大会などに連れていきました、子供達が大きくなった今も夏には一泊で近場に旅行に行っています。娘は春に結婚しましたが今年の夏も一緒に旅行にいきます。

家族全員で行けるのは、あと何年くらいかなあと思っています。

夏になるとワクワクした気持ちになるのは、子供の頃からの夏休みの思い出が体にしみついているからなんですかねえ。

私達の脳に夏は楽しいとインプットされているんでしょう。

でも、この先仕事を完全にリタイアする時が全ての働いている人に必ずやってきます。

夏がこなくても毎日が日曜日の状態になるわけです、それでも子供の頃からの夏休みがインプットされているから夏がくるとウキウキしてくるんですかね。

テレビで夏になると田舎にいる両親の元に子供達が孫を連れて帰省で帰ってくる場面が放映されます。おじいちゃんやおばあちゃんは孫に会うのを楽しみにしていたと言っています。そういう場合は歳を取っても、やはり夏はウキウキするのかもしれませんが私は東京生まれの東京育ち(一時期埼玉にいました)なので将来子供や孫の夏休みでの我が家への帰省はありません。夏じゃなくても、いつでも帰ってこられるので。

夏が終わり秋が近づいてきた時に少し悲しい気分になるのも、やはり子供の頃、夏休みが終わりに近づくにつれて、あー夏が終わってしまうと思った感情に起因してるような気がします。だから9月に入ったら私達の夏は終わるんです。

最近は地球温暖化の影響なのか9月になっても連日30度を超える日が続くようになってきました、でも夏休みが終わったら、どんなに暑い日々が続いていても子供達の楽しい夏は終わりです、つまり暑い夏と休みがセットになって初めて夏なのです。

そして、また来年、7月20日になれば子供達の夏休みとともに大人の夏もやってきます。

ところで、暑い夏の日、汗をだらだらかいて家に帰り冷房をかけた部屋で扇風機にあたると生き返ったような気持ちになり実に気持ちが良いですよね。

確かに今年は35度を超える猛暑日が続いており危険な暑さなので軽々な事は言えないんですが、たまに冷夏が来た時、熱中症になる人は、ほとんどいません、エアコンは使わなくても眠れますが、海やプールは寒くて入れない、海の家やプールは閑散としており開店休業、かき氷などは全く売れない。どんより曇った日が多く、すぐ雨になる。

そんな夏がくると人々は暑い夏を無性に欲するんです。

そうなんです人間は贅沢な生き物で夏は夏らしく暑くないと嫌なんですよ。寒い夏なんて夏じゃない、青い空に青い海、白い入道雲にギラギラとした太陽。そんな夏が俺たちの頭の中に埋め込まれた夏の記憶なんです。

だから僕らは火傷しそうな砂浜で体を焼き、火照ったからだを海で冷し、浜辺のビーナスを探し続ける。そして火傷しそうな恋に身を焦がす。それが僕らの夏、サザンの歌を流しながら海沿いの道を車で走り抜ける。

夕日を見ながらロマンチックな気分になり、激しく燃え上がるひと夏の恋。

短い夏を精一杯生きるセミのように、恋の炎で燃え尽きてしまう男と女。

この恋は永遠だと勘違いをして秋の訪れとともに去っていくひと夏の思い出。

全ては夏の暑さが俺たちを狂わせていたんだろうか、俺たちは太陽の季節のなかの狂った果実だったのかもしれない。

何もかも、全てを忘れさせてくれるような情熱的な暑い夏、理性すらも燃えつくすような暑い夏。

そんな暑い夏が来ると、古傷が痛むように、私は自分の心の奥のほうがすこし疼きます。