各位
私がタバコを最初に吸い出したのは高校生の時です。まあ、みんな少しだけ背伸びをする年齢です。
高校時代は吸いたくて吸うんじゃなくて友達の手前吸わざるえなくて吸う時があるんです。この当時はタバコはふかしてるだけで肺には入れてません。
普通は見つからないように友達の家で吸うとか、外で吸う時は私服の時だけです。ちなみに高校時代は私はタバコが美味いなどと思ったことは一度もないので自分で買ったことは、無かったし、自分から友達にくれと言ったことは無かったですね、大体、その場の雰囲気で吸わざる得なくて、まあ仕方なく吸うといった感じです。
高校時代に印象に残っているのは六本木の喫茶店アマンドで制服着てるのに5人くらいでタバコを吸ったのは良く覚えています。
高校3年で全員早稲田への推薦入学が決定してる時でした。俺は思いましたよ「やばくね、早稲田実業のバッチつけた学ラン着てるわけでしょ高校生だってすぐわかるじゃん。
今この繁華街で沢山の人がいる喫茶店で制服着たまま吸うのはやばいよねTPOがなってないじゃん、万一通報されて補導でもされたら俺たち全員推薦取り消しだから、だけど(仮称)山田ってやつがタバコをカバンから出して吸い出して、みんなに吸えよと勧めるんで何となくみんな吸う事になったわけで、こういう時って自分だけ吸わないとビビッてるて思われるのが嫌でみんな消極的な選択で吸うんだよね。だから早くこの店でないとやばいぜって焦ってたのは俺だけじゃなかったはずなんだけど。多分みんな俺は平気だぜって強がっていたんだろうね。
特に何もなく店を出たけど、でも、あの時はみんな推薦取消しになったとしても構わないと心のどこかで思ってたのかもしれない。山田だって文学部なんて行きたくないって言ってたし、(仮称)倉田だって教育学部に行きたかったわけじゃない。みんな自分のいきたくない学部に嫌々進学するわけだから、浪人覚悟で早稲田を受験し、本来みんなが行きたかった政治経済学部等に行ったほうが良かったんじゃないかなあと、まあ今だから言えるんだろうけど。
タバコに話を戻しますね、この時代、進学校の都立高校の生徒なんかも雀荘にしょっちゅう行ってその場でタバコ吸いながら麻雀をするなんて普通にあったんで、まあ何てことはないんだけど、ただ学ラン着たまま六本木のど真ん中の喫茶店はやはり少しまずい感じはしたかな。
当時、早実でも吸っている生徒はたくさんいたと思う、タバコの吸っている銘柄があだ名になっている奴もいました。タバコの銘柄はケントです。
まあ、時代はタバコ全盛期でしたから、かなりの高校生が吸っていたと思います。
前置きが長くなりましたが、本格的にタバコを吸い出したのは大学に入ってからです。多分男子大学生の9割以上は吸っていた時代です。吸わない学生が珍しい時代でした。
始めは、もらいタバコです。高校時代は自分でタバコを買ったことはなく、すすめられてしかたなく吸っていただけだったので。
大学生になっても始めの頃は特段吸いたいわけではなかったので、吸う時はもらいタバコでした。
友達に1本くれと頼み一日で2~3本ってとこですかね。
煙を肺に入れたのは、友達がふかしてるのはみっともない。ちゃんと吸うなら肺にいれろっていうんで。最初に肺まで入れた時、すごくむせました。よくこんなの肺に入れられるなと思いましたよ。頭もくらくらっときましたね。やっぱ頭に作用してるんですね。
大学入って一か月くらいしてから、もらいタバコは卒業して自分で買うようになりました。
しっかりと吸い込むようになっても一箱あれば一週間くらいもちました。タバコなんてやめようと思えばいつでもやめられると思ってました。
タバコが手元に無ければ一日吸わなくても何ともなかったですから。
最初に吸っていた銘柄はセブンスター、友達も大体セブンスターでした。中にはハイライトやショートホープを吸っている奴や洋モクを吸っている奴もいましたが、主流はセブンスターでした。
この頃、専売公社(今のJT)ではニコチンとタールを少なくした新商品を毎年のように発売していました。
私は軽い新商品がでる都度セブンスターからマイルドセブンへ、そしてマイルドセブンライト(ニコチン・タール7m)と変えていきましたが、ここから先が変更できませんでした。
マイルドセブンスーパーライト(タール6m)は、発売と同時に切り替えたんですが何度吸っても、吸った気がしなくて、まるで空気を吸ってるみたくて。
今タバコを吸ってる人は1mが多いですね、私からすれば1mを吸うなら空気と変わらないんだから、いつでもやめられるじゃんと思うんですけどね。
私の世代は親は家の中の居間で子供たちのいる場所でいつでも吸っているのが普通でした。
喫茶店はその名の通りタバコを吸う場所で、役所の中もみんな自分の席でタバコを吸いながら仕事していました。当然、私も自席でタバコを吸いながら仕事をしていました。
議会の委員会でも議員は委員会室でタバコ吸いながら審議をしていた時代です。
煙草は家でも職場でも、道路でも、どこでも吸えるのが、当たり前の時代でした。
そんな中で依存性の強いタバコに私は少しづつ取り込まれてゆきます。
本格的に吸い始めるとじきに一日一箱になりました。二十代中頃には、やめたくても、やめれない状態になっていました。
そこで教育委員会〇〇課の時、初めて禁煙に挑戦しました。この時は3人で禁煙をしようと誓ったのです。庶務課にいた(仮称)小畠さん(後に部長)と関口(退職して税理士)さんと3人で桃園の誓い(三国志に出て来ます)を結び、その後禁煙を始めたんですが一週間くらいで挫折、結局3人とも一週間くらいで禁煙に失敗しました。
(桃園の誓い)は禁煙とは直接関係ないんですが、今も小畠さんとは関係が切れないのは桃園の誓いを結んだせいなのか、なんて思ってます・・冗談です
その後、幾度も禁煙にチャレンジしますが毎回失敗。
禁煙することも、一切やらなくなりました。
タバコだけは、どうしてもやめられないとあきらめました。
次回はそんな私が禁煙にまたチャレンジの話です。