ムットン調査団261、年度末

各位

今週はバタバタとした一週間でした。今週で今年度が終わりますね。

私は声は少しでるようになりましたが、まだかすれています。少し良くなったかと思うと、すぐに悪くなったりして本当に煩わしい状況です。

なのでまだ薬を飲んでいます。今週の火曜日には薬が切れてしまったので早退をして耳鼻咽喉科に薬をもらいに行きました。これで喉に関して医者にいくのが最後になるといいんですが。それにしても喉の不調の期間が長すぎです。

火曜日に医者から出た途端に土砂降りの雨に降られて全身ずぶ濡れになりました。春の嵐みたいな感じですごかったです。

その前の日の月曜は今年度で役所を去る管理職のAさん含め3人で飲みました。

私はずっとソフトドリンクでなるべく声を出さないようにしていました。

Aさんは一日に一回は私のところに顔を出していてくれたので、やはり寂しいですね。

そんなAさんとのお別れ会ですから全く声がでなかったとしても絶対にその飲み会には参加したでしょう。

まあ別れの盃といったところでしょうか。

南の空に飛んでゆく仲間を地上で見送るような心境です、俺も後に続くから九段の靖国神社でまた会おうと誓いあいました・・・嘘です、でも一緒に飲んだのは本当ですよ。

話は変わりますが今日は歓送迎会の日について、どこの日が都合が良いのかを職場の幹事さんに聞かれました。

歓送迎会なんてしばらくやっていなかったので、この習慣もアフターコロナで無くなるかもしれないと少し思ったんですが、見事に復活してますね。

歓送迎会なんてやるの5~6年ぶりになるかなあ。

コロナになって以降、私のいた職場で歓送迎会が開かれるのは初めてです。いつもの日常というものに戻ってきているんですね。

辞めるAさんも「M派と安田大サーカス」というグループの幹事長でコロナ前には飲み会を取り仕切っていました。このグループを動かすにはAさんしかいません。ですからAさんがわが社を去ってもグループの幹事長職はそのままお願いすることになるでしょう。

このグループの会長兼ムットン調査団の団長も「それでOKだ」そうです。

いつもは、この時期に団長から異動者を含め団員諸君に対し、来る新年度に向けて談話等をだすのですが、今回は団長もイブクイックDX部長から異動になり談話どころではないとのことでした。

また落ち着いてきた時に頼んでみましょうかねえ。

〇田君は「団長のカビの生えたような談話など聞きたくねえんだよ、いつかは俺がこの組織のてっぺんを取るからよ、そこんとこよろしく」と相変わらずとんがっていました。

いずれにせよ、この4月は日本中の多くの職場で歓送迎会が復活することでしょう。

あれほどの猛威をふるい、全世界を震え上がらせたコロナもインフルエンザ並みに落ち着き、人類との共存を始めたみたいですね。

コロナの最盛期には通勤時間は電車がガラガラで、通常なら絶対に座れないのに毎日座って通勤することが出来て、飲食店も軒並み開店休業、多くの会社でリモートワークが行われ、これがこれからの働き方だと言われて、企業がオフィスの面積を小さくしているニュースもよくテレビで流れました。アフターコロナになってもこの流れは変わらないと言われていたのに、アッと言う間に朝晩の通勤電車は満員電車に戻ってしまいました。ほとんどの事がコロナ前に戻っているんでしょう。

大山鳴動して鼠一匹のような感じさえします。

100年後に人類が過去を振り返った時にはコロナ禍は歴史の一つになっており、かつてコロナが世界中で猛威をふるって500万人以上もの多くの人が亡くなったと、そして人類はコロナの恐怖に打ち勝ったと記録されているんでしょう。

これからも人類はたくましく生き延びていくんでしょう。

話がかなり脱線してしまいましたが、個々人においても、それぞれの人生があります。

生きていくためには、大きな波が何度もくるでしょう。それでもめけずに、各人の人生を歯を食いしばって、必死に前に進んでもらいたいと強く思っています。

この時期は本当に人生の岐路に立つ人が大勢いるので、迷いながら手探りで進んでいく人もいるでしょう、不安に押しつぶされそうな人も、夢と希望に心躍っている人も、失意のどん底にいる人もいるでしょう。

どのような状況であれ、時間は過ぎていきます、全ての人はいずれ必ず寿命が尽きて全員死ぬわけですから、それまでは前に進むしかないんだと思います。開けない夜は無いのですから。

Let‘s Bigin   Never Give up で行きましょう。