ムットン調査団263、高齢者施設1

各位

4月もようやく第一週めが終わり少しだけ落ち着いてきた感じですかね。

今回は過去の文章です、過去の文章の中には、内容も多くて一回では終わらず何回かに分けて書いたものがあります。そんな中の一つが高齢者施設シリーズです

昔まだ平職員の頃の話で4月に高齢者施設に人事異動になってからの、辛い出来事を書いたものです。

各位

私の高齢者施設への異動、それは新人の時、配属された出先の出張所から庁内の教育委員会〇〇課をへての異動になりました。

3か所目の職場であって、すでに2か所目の庁外職場でした。

役所に入ってから退職するまで一回も出先に配属されることなく退職する職員も多い中で入ってから3つ目の職場がすでに二回目の出先職場は、まあ普通ではないですよ。

出先職場を希望していたのなら別ですが、私は一度も希望したことはありません。

今回は高齢者施設での出来事なので、これ以上人事異動のことは書きませんが、私はこの先40歳くらいまでの間にさらに2回の出先職場に異動することになります。

そんなわけで、私はこの人事異動に対して期待に胸膨らませる訳もなく、当たり前ですが、この異動に対し大いに不満で納得のいかない気持ちでした。

しかし、そこはもう子供ではないので、異動したからには気持ちを切り替え、無理やりモチベーションを高めて新たな職場で頑張る覚悟でした。

当時は異動する職員は4月1日に全員集合して辞令交付が行われました。

その際に全員辞令書が渡されます、その辞令書をもらった職員はその紙を持って役所中を回って挨拶をするのが慣例となっていました。

出来れば、そんな事をしないで高齢者施設にそっと行きたい気持ちでしたが、世話になった人達もいるので、そこは当時の慣例に従い挨拶回りをしっかりとしました。

その時に私に声をかけた人は、もう何十年も前の話だから何も覚えていないと思いますが、私はKさんが私に「何か悪い事でもしたの?」と笑っていたことを覚えています、他の部署に行っても行く先々で、「何でまた出先に行くんだ、その高齢者施設を希望したの?」とか、「何をしたんだ?」と、そこらじゅうで似たような声をかけられ、心が少し折れそうで、かなりへこみました。

まあ普通に考えれば、みんなが「何でまた出先に行くんだ、希望したのか」と思うのは妥当だったんでしょう。

あの時は人事は自分の希望を少しも聴いてくれないんだと思いました。

それでも、私は何でもないですよという顔しながら各階を全て周りました。

泣きたい気持ちを抑えて、何でもないと笑顔で回った挨拶は私にとってのギリギリのプライドだったのかもしれません。

そんな辞令当日の儀式も終わらせ、私は高齢者施設に向かいました。

当時の高齢者施設の所長は2年前に都から管理職昇任で来た人で、私が人事異動で行った4月には高齢介護課長との兼務になりました。所長は引き続き同じ人だったので高齢者施設の職員達は私以外全員、その所長をよく知っていました。

ただし、その所長は高齢介護課長との兼務になったので高齢者施設には、私が来た4月以降はほとんど来ませんでした。

そこで庶務担係長である管理係長のSに対して実質的に施設の仕事の全権委任をしたのでしょう。

高齢者施設には管理係と事業係という2つの係があありました。

私が配属されたのは管理係です。管理係はS係長をトップに事務は私ともう一人早稲田の法学部をでた新規2年目の(仮称)矢部君、あとは受付その他をやる用務系職員3名がいて全部で6名でした。ちなみに管理係はこの時の4月異動で主査1名と事務1名の合わせて二名が本庁に異動しており変わりに来たのは私だけなので、人員は事務1名減となっています。

事業係は係長の下に高齢者施設開業当時から一度も異動していない福祉職、看護師、なぜか授産指導もいて5~6人いたかな。高齢者の区民の方を対象にして、歌や手を動かすリハビリ運動などを定期的に行ったり、ゲートボール大会、運動会その他各種の事業を中心に仕事をしていました。

床や机、トイレ、お風呂やトレーニングルーム、ビリヤードや将棋をする部屋など館内の清掃や機械運転などは外部委託業者が常駐しており、日中、常に行っていました。

ちなみに異動先に知り合いは一人もいませんでした。出先に異動して知り合いがいないのは、やはり少し寂しいもんです、気分的には新人のようなものです

私は年齢が一番近い矢部君とはすぐに友達になり、仕事は勿論、プライベートでも彼とはよく遊びました。

またこの高齢者施設はよんぱち勤務と呼ばれる勤務形態でした。よんぱちとは週48時間勤務する事業所のことです。

私が行った高齢者施設は月曜日だけが休みで、火曜日から日曜まで週6日間フルタイムでした。今は、どこの職場もみんな週40時間勤務ですから、48時間勤務なんて、とても出来ないでしょう。

私だって土日は休みたかったですが、泣き言は言っていられません。

ある種、開き直るしかありません。ここでやっていくんだから、今さら嘆いたところで勤務時間や勤務体系が変わるわけではないんで。

土日勤務で月曜が休みなので休みの日は家族を含め誰とも遊べず、同じ月曜休みの同僚の矢部君と二人で遊ぶしかなかったのです。

テニスコートを予約して二人だけで1日中やったりもしました。まあ彼だけがその職場で唯一の私の味方だったなあ。

異動直後の引継ぎは私と入れ替わりで出ていった二人の職員からでした。

一人は高齢者施設の管内の管理業務全般を担当しており、もう一人の主査はいくつかの事業を抱えていました。

4月に異動していったのに、年間の管理委託の仕事などがほとんど残っていました。

光熱水費の支払い原義なども含め全部やっていない状態で前任者は出ていきました。

なんで、こんな仕事が4月になってまだあるのという感じでしたね。前任者は私に申し訳ないと、ひたすら謝っていました。

そんなわけで異動してすぐは、ひたすら契約やら原義などを毎日残業して作っていました。

やれやれです。続く