ムットン調査団133(98、はまったもの1)

去年の夏に書いた文章です

各位

皆さんも子供の頃から今日までで、何かにはまったり、少し依存になったものって二つや三つありますよね。

私も何かの依存症になったと言う訳ではないのですが、そのはるか手前や直前でやめたりしたものが、いくつもあります。はまったと言うくらいのものかもしれません。

小学生の時は家にある梅酒を冬はお湯で割り、夏は氷水で割り毎日飲んでいたので、これは習慣化してましたね、一年以上飲んでいたのに、いつとはなしに毎日飲む習慣はなくなりました。後で書きますが私は酒は弱いですよ。

中学の時はコーラですね、夏に学校から帰る時に1リットルのコーラを買い、でかいカップに氷をたくさん入れて飲むと10杯以上飲めます扇風機にあたりながらコーラを飲んでる時に生き返ったという満足感、小さな幸せを感じてました。

コーラは大人になってからも何回か習慣になりその都度、意図的にやめました。

ここ10年くらいだとアイスは一日必ず1個食べてる時期が1年以上あったかなあ、今年の夏はアイスを食べる習慣が復活しています。それからナッツこれもかなり、はまりましたね。自分で御徒町アメ横でアーモンドやクルミなど5種類くらいのナッツを買って自分でブレンドして食べるんだけど食べだすとやめられないんだよね、苦しくなるまで食べてしまうのがナッツ、これも危険な食べ物です私にとっては。ナッツもかなり、はまってしまい、気合いれて食べるのをやめました。

やってないけど、やばいと思ったのがシンナーです。

私が若い頃は不良はシンナー吸ってる奴が多かったんですよ。シンナーは別名「アンパン」と言います。私の家にも友達じゃないのにアンパン吸って、らりってる状態で電話してきた奴がいました。電話で何言ってるのか、ほとんどわからない状態です。

私はもちろんシンナーはやりませんでしたよ、でもシンナー依存になる素地は間違いなくあったと思います。

子どもの頃、父親が日曜大工などでペンキにシンナーいれて薄めるんですけど、その匂いが好きでしたね。シンナーやトルエン中毒の最初は私みたく、その匂いが好きだった人が始めたんじゃないかと思うんですよ。

シンナーの他にもニスとかベンジンなどの似た匂いも好きだったんです。でもいつ頃か覚えてないんですが、その匂いが好きではなくなりました。

私がもし若い頃、自分の周りでシンナーを普通に吸ってる人達の中にいたら、その匂いが好きだったんだから完全に重度の中毒になって脳萎縮も起こり頭がいかれてしまっていたかもしれません。

次は酒です、酒なんて書くとアル中の話かと思いますよね。そんな話では全然なくて可愛らしいもんです。

酒はもともとが弱いのですが、弱いなりにこのままだと依存症になるかもしれないと、お子様のような安全レベルで何回か飲む習慣をやめています。例えば、二十代の頃、家で風呂上りのビールを飲んでいた時期があったのですが、毎日飲んでいると風呂上がりに体がビールを欲して無性に飲みたくなる、ここで私の場合は毎日飲む習慣をやめないと依存症になるような気がしてやめるんです。

多分、家で晩酌をしている人はたくさんいると思います。風呂上りのビールなんて何も問題ないだろと思いますよね、ただ私は自分は依存体質のような気がするんです。毎日飲んでいると必ず量が増えていき、極論ですがアル中になる気がするんです。

これは、コーラやがやめられないなど過去の依存体質が警告を発しているような気がするんです、コーラよりも酒は百倍依存になりやすいから。

学生時代に友達と4~5泊くらいでスキーにいった時も昼からビールを毎日飲んでいたら自宅に帰ってきてからも、やけにビールが飲みたくなっていて、気が付いたらビールを買いに行っており、俺って短期間で依存症になるんじゃねと思ったり。

最後のアルコールの習慣はある課で(仮称)松平元部長(当時はお互い主査)と一緒に小学校の建設担当の時です。その当時だけですが松平さんは残業する時、缶ビールを1本飲んでいたんです。そこで私も付き合おうと思って毎日1本飲み始めたんです、最初はつまみもなく、ただビールだけ飲むのは、正直きつかったんです。この時期役所には(仮称)関本さんという係長がいて某測定室の中にビール専用の冷蔵庫がありここに、しこたまビールが入っており、小売価格と同じ値段で売ってくれたんで、お世話になった職員も大勢いました。

当時、私は松平さんと二人で毎日遅くまで残業していたので缶ビール1本だと足らなくなってきて、1本が2本に、2本が普通サイズからロング缶へと増えていきましたね、私もビールに慣れて、つまみ無しでお茶を飲むような感覚になっていました。どこまで量が増えるんじゃと思った頃小学校の建築が完成。職場での残業しながらのビール飲みは約1年で終わりましたが、終わったと同時に今度は外で毎日飲むことになったんです。建築が終了すると今度は約一か月かけて机や椅子、食器など様々な什器類の学校への搬入が始まります。学務課の(仮称)久本さんが搬入を仕切るんですが、「私と松平さんに明日から一か月は教育委員会各課から毎日応援をたのんで現地に張り付きとなるので、毎日仕事が終わったら現地で応援の職員と一杯やるので家で食事は一か月いらないと言っておいて」と言われました。

職場でのビール飲みが終わったら今度は毎日、仕事の一環として飲み屋で飲んだんです。

現地の駅の近くの確か魚民を拠点として毎日飲みました。

この時が私の歴史上もっとも酒が強い時です。酒は毎日飲むとそれなりに強くなりますよ。

三月の終わりに搬入が終わり一か月飲み続けも終了です。

私にとっての酒を飲み続けた一年間はこれをもって終わりました。

3月に学校建設業務が終わると同時に私のいた課は解散となり、後処理と新たな課題解決のため私は指導課に、松平さんは企画課に異動。

これだけ毎日飲んでいたので、しばらくは仕事が終わるとかなり酒が飲みたくなりましたね。が、ここで飲んだら、依存症になるかもと思い毎日飲む習慣はやめました。

酒を普通に飲んでる人からすれば可愛いもんでしょう、私の場合は、基本的にアルコールが弱いのですが、弱い人でも毎日飲むと酒の量が必ず増えていくし、酒に対して少しづつ強くなるんです、何となくアルコール依存症になりやすい体質かもしれないと勝手に思っています。

今は元のアルコールに弱い体質に戻っています、乾杯のビールの後に薄めのサワーを二杯から三杯くらいまでですかね。

飲めるアルコールの量は、まあ団長の百分の一くらいですかね。

団長は日本酒でもワインでも、いくらでも飲めますから、その後で普段見ることのない超陽気な団長が見られます。しかし、ここが微妙なところで、その量を超えると急におとなしくなります。そして、たまに家に帰れなくなったりとかするそうです。

そんな時に団長と一晩一緒にいれば素敵な野宿ができて浜松北の校歌を覚える事ができるかもしれません。何だかワクワクしますね、団長と二人で健全なアバンチュールを楽しめるかもしれませんよ。

私がはまったものは、まだまだありますが今回はここまで んじゃ