ムットン調査団140、ファースト・オピニオン・ESS

各位

To be to be ten made to be・・この英語の意味は、わかりますか?

中学、高校時代の私の英語力に関しては得意でもなく不得意でもなく、まあ普通でしたかね。

そんな私が大学に入学して間もないころの話です、希望しない学部に推薦で泣く泣く入ったわけです、このまま漫然と大学生活を送るのか、それとも少しは目的意識を持って大学生活を送るべきか、なんてことを、こんな私でも少しは考えたんです。

では、具体的にどうすればいいかって考えると大学には無数の同好会があります。

何かをするには、あらゆるジャンルの同好会がそろっています。

特に私がいた大学のサークルの数は多分日本一多かったはずです。その中でも大学構内に個室のある部室を持っているサークルは、ほんの一握りでした。

大半のサークルは構内のラウンジや大学周辺の喫茶店などを拠点にしていました。

私の場合は早稲田実業出身なので、入学時より周りは知り合いだらけです、おまけに早稲田実業のOBのたまり場X研究会に入学前から入り、先輩から、どの先生の授業が単位がとりやすいか、などを全部聞いたりしていたので、大学の構内での基本的な拠点はX研究会になります。しかもX研究会は個室の部屋を与えられていたんです。

個室があるのでX研究会は大学生活の基本的活動の中心になります。大学についたら、まずX研究会の部室、授業の合間の暇つぶしなど、基本は部室にいます。

このX研究会は元は教授が顧問にいてまじめな活動をしていたんですが、私が入ったころは早実の仲間と遊ぶためのサークルになっていました。ただ部室を維持するために少しだけ真面目な活動もしていました。

それでもX研究会だけに所属していては遊んでるだけになってしまいます、これではいかんと思い、他にも何かやったほうが良いのではと考えて、いろんなサークルを検討しました。テニス同好会なんていいですよね、どのサークルも女子のほとんどは日本女子大、大妻、共立など女子大からの加入者でした。

X研究会も柔らかいサークルなので、当然女子は全員女子大学の生徒でした、やはりもう一つは、まじめなサークルにしようと思い、いろいろ迷ったすえに入ったのがESSです。

昔はどの大学にもあったESS、English’ speaking society の略でまあ英会話サークルです、今でも多分、大方の大学にはあるんでしょう。ESAという対抗サークルもありましたね。イングリッシュ・スタディーング・アソシエーション略です。

ESSサークルに入会してすぐに後悔しました、当時大学受験は一浪、二浪は当たり前の時代で私の大学には東大に落ちた人がゴロゴロいて英語の基本的能力がみんな高いんです。

それに対して私は早実で3年間何もせずにボケーと過ごしてきたので、英語の基礎能力は中学3年の時の高校受験レベルで止まったままです。

新入生歓迎コンパだとか、いろいろあって、すぐに辞めますとも言いづらく、まあ夏前までには辞めようかなと決めていました。

そこへ突然の話を聞かされます、来月関東にある大学のESSの新人が全員専修大学生田校舎に集まってスピーキングコンテストがあると言うのです。

私には無理ですと断ったんですが、「全員出てもらうので例外はない」と言われました。

まず、自分のオピニオンを英語で作成しなくてはなりません。

何を書いたかは覚えていませんが、私の文章を直す担当は法学部の先輩でした。

私の中学レベルの英文を根気強く直します。この英語の文章を作るのだって大変だったんですよ。やっと文章が完成したら今度はスピーキングです、何度も先輩の前でスピーキングを行い、発音を直されこれで完成です。

後は当日、スピーキングをすれば終わりです。

発表の前に私の大学のESSの1年生が全員集められました。

当日の会場での注意事項等の打ち合わせです。先輩が「全員がそれぞれ違う教室を指定されるので同じ大学の生徒は教室にはいません。教室に入ったら英語以外は話してはいけません。また各教室にはチェアマンという司会を進行する上級生がいるので、それぞれの教室ではチェアマンの指示に必ず従うこと、そして一番重要な事を言います。

チェアマンが皆さんが用意した英文の発表を求めてきたら、なるべく大きな声で目立つようにチェアマン、チェアマンと何度も声をあげて指名されるように頑張ってください。

各教室で一番最初に指名された学生はファースト・オピニオンと言って大変名誉なことである、新人の時に一回だけしかないチャンスなので何としてもファーストオピニオンの名誉を取ってくるように」との事でした。

からしたらチェアマンの気まぐれだから、誰が取れるのかなんて運しかないだろうから、運が良ければ取れるかなぐらいの気持ちでした。

早々に辞めるつもりのESSでしたが、この専修大学でのスピーキング大会までは何とか頑張ることにしました。

当日、朝早く家を出ていざ出陣です、新宿で小田急線に乗り換えてしばらくしたらお腹が痛くなってきました、我慢していたのですが途中で我慢できなくなり途中下車です。

この時の腹痛とトイレをこらえる厳しさは私の中では歴代トップ10にはいる厳しさでした。あと何十秒持つかという大変な状況でした。

そんな途中下車の旅をしたもんですから、ただでさえギリギリの時間だったので、専修大学に着いてからはダッシュで走って、ギリギリで指定された教室にたどり着きました。

教室内には2~30人くらいの学生がいました。

私が席に着くと同時にチェアマンの自己紹介が始まりました、チェアマンは慶応の学生でした。ふむふむ、慶応の学生ね、まあそんな感じでしたね。高校受験で慶応日吉と慶応志木に落ちましたから、まあ慶応には複雑な感情があります。

そんな事はさておき、この後、我々の自己紹介です、関東一円の大学が集まっていますので初めて聞くような大学の名前もありました。そのクラスにおける大学のネームバリューはチェアマンを除けば私の大学が一番だったでしょう、しかし私の英語の実力は、その教室の中で間違いなく最低の語学力だったと自負?しています。

そして、チェアマンが発表を求めてきました、全員が出身大学でファーストオピニオンを取ってこいと先輩たちの言われてきたのでしょう、みんな大きな声で「チェアマン、チェアマン」とアピールしています。

私もファーストオピニオンは大変名誉な事だと言われていたので、皆に負けないように声を出しました。

すると、何ということでしょう、チェアマンは私を指名したのです。

栄えある名誉ファーストオピニオンはこの私が獲得いたしました。イエーイ!

私としては、この後用意した英文を読み上げて、後は次の人達の発表を聞いてればよいのです。名誉は手に入れたし楽勝です

用意した原稿を読み上げ、終わったぜいと思ったらここからが大変だったんです。

チェアマンが教室の他の生徒に質問を求めたんです。

えっ、これはまじ聞いてなかったんです。質問が飛んでくるならファーストオピニオンなんて取りにいかなかったのに。

チェアマンが慶応だったので私をファーストオピニオンに指名したのだろうか?

そんなことより、ほぼ全員がクエスチョン、クエスチョンの嵐です。

ファーストオピニオンを私に取られた恨みもあるでしょうが、それよりみんなの英語の発音のうまいこと、うまいこと。あまりにネイティブな発音なので私は何を聞かれているのはさっぱりわかりません。教室内は日本語禁止です。

私はアイム ソリー ミスター チェアマン 私は彼女が何と言っているのか理解できませんので答えられないと、たどたどしい英語で言うのが精一杯でした。

その後も教室の中の生徒から質問につぐ質問。これで早稲田かよとみんな思ったでしょうね。実にぶざまな時間でした。

名誉どころか、私の中では大きな汚点を残した恥ずかしい時間でした。

みんな真剣に英会話の上達を求めてESSに入っているわけで、私とは志が違っていました。まあ打ちのめされた感じがしました。

しかも全員が発表できるわけじゃないんですよ、限られた人数の人しか発表できないことも知りませんでした。

英語をなめてました、翌日自分の大学でファーストオピニオンが取れた報告をしてみんなからは大変喜ばれましたが、自分の中ではここは私のいる場所ではないとわかっていました。記憶が定かではないのですが多分、この日をもってESSを辞めたたんだと思います。

何事もやるからには、腹を据えて取り掛からないと駄目だということでしょう。

冒頭の英語の意味はわかりましたか? 

答えは「飛べ 飛べ 天まで 飛べ」です、私の英語力はこんなもんですから

私の知っている英語は他にはBoys be ambitiousくらいかな、でも少年老い易く学成り難しです。みなさん、人生はあっという間に過ぎていきますよ、今を真剣に生きてください、振り返った時に後悔しないために。