各位
いよいよ神田祭りが始まりますね。4年ぶりの神田祭りなので神田一帯ではみんなバリバリに気合が入っています。まさに、やる気満々と言ったところですかね。
美空ひばりの、お祭りマンボという歌のような状況になります。
歌の出だしは♪私の隣のおじさんは神田の生まれでチャキチャキ江戸っ子、お祭り騒ぎが大好きで、ねじりはちまき、そろいのゆかた。♪
♪雨が降ろうが、ヤリが降ろうが、朝から晩まで、お神輿かついで、ワッショイ、ワッショイ・・・・そーれそれそれお祭りだい♪で始まる軽快な歌です。
みなさんは祭りは好きですか?
お祭りの独特の雰囲気がありますよね。私はお祭りが大好きです。
神社の縁日の雑踏、焼きそばやお好み焼きの匂い、ぴーひゃら、ぴーひゃら、テンツク、テンツク、祭囃子の軽快な音、ソイヤッ、うりゃ、神輿を担ぐエネルギッシュな躍動感。
やっぱり、お祭りって楽しい雰囲気がありますよね。
私は神田の生まれなので、物心がついた時から祭りと共に育ってきました。
全ての町会は大人神輿、子供神輿、山車を持っています。5分あれば町会を一周できるような小さな町会でも全部持っているんです。
まだ子供神輿がかつげない頃は母親と一緒に山車を引っ張っぱります、小学生に上がった頃に子供神輿を担げるようになり、小学校高学年か中学生になった頃にやっと、待ちに待った大人神輿を担げるようになります。
大人神輿が担げるようになれば、大人への仲間入りの第一歩となります。
早く大人神輿が担ぎたいと子供の頃からずっと、その日がくるのを待っていました。
実際に担ぐと、その重さ、迫力、掛け声に圧倒されます。
それと同時に肩が痛み、喉も渇き、膝もがくがくです。
どの町会も神輿の担ぎ手不足のため多くの担ぎ屋を雇うことになります。地元の人も担ぎ屋に馬鹿にされないように、この時に合わせて髪を五分刈や中には五厘刈りにする人もいました。
朝から晩まで二日間、担ぐので、翌日には声が潰れて、しばらくは、がらがら声になります。 それと、とにかく肩が腫れて痛くなる。小学生の時など祭りの翌日、学校にいくと必ず、みんなで肩のたたき合いをしました。後ろからポンと肩をたたかれると飛び上がりました。滅茶苦茶痛いんです。
そんなに肩が痛くなるのに、なぜ神輿を担ぐのかって。さあ、同級生はみんなそれぞれの町会で当たり前のように担いで育ったから。それが一番自然だったのでしょう。
山登りが何で山に登るのかを聞かれた時の有名なセリフは「そこに山があるから」です。
神輿好きの人も、「そこに神輿があるから」なのかもしれません。
神輿を担いでいる時に一種の陶酔感に浸るような感覚になるんです。
だから祭りが近づくとワクワクしたし、まさに血が騒ぐと言ったところでしょうか。
ある年の神田祭りの時、私は中学生か高校生の時でした。土曜日は普通に神輿を担いだんですが、月曜に重要な試験があるのに何もやっていなかったので日曜は泣く泣く家で勉強することに決めていたんです。神輿は町内を何度も練り歩きますから私の家の前にも当然きます。午前中、神輿が近づいてくると「ソイヤ、サー」の掛け声が聞こえてきます、家の前まで神輿がくると、掛け声は大音量となり「ソイヤー、ソイヤー、」と耳に飛び込んできます。
こうなると、祭り好きの血が騒ぎ、我慢出来なくなります。
我慢、我慢とこらえていても、あの威勢の良い掛け声が私の耳に飛び込んできたら、もはや我慢も限界になります。自分の中にあるお祭り男のDNAが覚醒して、荒ぶる魂を呼び覚まし、もはや制御不能の状態になります。・・ちょっとオーバーですがまあ、体がうずいて
居ても立っても居られない状態になります。
勉強なんて、やってられるか。♪そーれ、それそれお祭りだい♪
お祭り男のスイッチが入り、着ている服を脱ぎ捨て町会の法被(はっぴ)をつけて神輿に飛び込んでいきました。
もう試験もへったくれもありません。神田っ子は何をおいても祭りが一番です。
もっとも、これは私の話で同級生などでも大人になっても祭りに熱く燃えてるやつは、かなり少なくなります。話を戻しますね。
その日は夜まで夢中で担いでいました。体力は限界まで使い果たしていますから、もう何も出来ません。勉強なんて100%不可能です。試験の結果なんて聞くまでもないでしょう。
美空ひばりの「お祭りマンボ」の歌詞みたいなもんです。
♪祭りが去ったその後は、・・・後の祭りよ♪です。
神輿は担ぐものであって、見るものではなかったんです。
私の場合は30代半ばくらいまで担いでいました。
神田から引っ越して、自分が担がなくなった後はしばらく神田祭りは見ることもしませんでした。
担がなくなっても神輿を見ると、まだ血が騒ぐんです、それは神田祭りでも、三社祭りでも深川の祭りでも神輿を担いでいるのを近くで見ると、どうしても担ぎたくなるんです。
まあ、何て言うか、とにかく体がうずくんです。神輿があの「ソイヤッ、ソイヤッ」の掛け声とともに近づいてくると、どうにもこうにも、担ぎたくて、いたたまれない感情になったんです。
きっと祭りの血がさわぐんでしょう。見ていると担ぎたくなるのに担げない。だったら見ないほうがましなんです。
私にとって若い時の祭りは見るもんじゃなくて、かつぐもんだったんです。
だから、祭りがある時には神田でも浅草でも下谷、鳥越、深川、全部近づかないように、わざと避けてました。
それでも、40になる頃には祭りも普通に見られるようになりました。歳をとったということでしょうか。普通に楽しく見られるようになりました。
まあ、いつまでもお祭り男でいるわけには、いきやせんから。
でも誰かのために神輿をかつぐことは、まだあるかもしれません。
んじゃ