ムットン調査団174、命がけの宮出し

各位

先週の週末は神田祭りでした、そして今週末は浅草三社祭祭りです。

この三社祭に関しても忘れられないエピソードがあるんです。

私の神輿好きが最高潮に達したのは十八歳から二十歳くらいの頃だと思います。

神田祭りは地元の町会の神輿をかかさず担いでいましたが、同級生達がいる町会で大きな神輿を持っているところにも担がせてもらったりもしました。

そんな時、浅草の花川戸に住んでいる高校時代の友達に頼んで、三社の宮神輿を担がせてもらう事になりました。

友達から借りたのは、花川戸の町会の法被です。法被にはピンク色のワッペンが縫い込まれていました。

三社祭りは基本的には各町会で町会の神輿を担ぐのですが、メインはそこじゃないんです。

三社には宮神輿が三基あります。一宮、二宮、三宮の三基です。

この三基の宮神輿が神社を出るのが宮出し、神社に戻るのが宮入りです。

神社の境内に大きな広場があり、そこに宮神輿が三基離れて置いてあります。

この神輿が境内を出て最初の町会に渡すまでが宮出しです。

この宮出しの時に神輿を担げるのは、ワッペンのついた法被を着ている人だけです。

この宮神輿が広場から仲見世に入り、最初の町会に渡されると各町会は宮神輿を担ぎ次の町会へと宮神輿を渡していきます。各町会では神社の宮神輿を担いでいる時以外は町会の神輿を担いでいます。

では、広場から最初の町会に渡すまでは誰が担いでいるのかと、いう事です。

私はこの宮出しに参加したいと浅草の友人に言ったら、悪い事は言わない、非常に危険だからやめておけと言われました。

そこは怖いもの知らずの18歳です。危険でも構わないので担ぎたいと頼み、ワッペンの縫い付けられた法被をゲットしました。

友達は当然ですが宮出しには参加しません。私に何度も宮出しはやめた方が良いと忠告してくれましたが、私はまあ大丈夫だろうと高を括っていました。

私の指定された神輿は確か一之宮だったと記憶しています。

一宮の神輿が最初に引き継がれる町会が花川戸だったので友人とは、その時に会う事にしました。

神社の集合時間が朝の5時頃だったと思います。電車が動いてない時間だったので神田から朝の4時にタクシーで向かいました。

この時はまだワクワクしていたと思います。

タクシーを降りて指定された広場に向かう途中、周りはみんな団体さんです。

担ぎ屋のグループだと思いますが、みなさんかなり怖い感じです。

そっち系の方もかなりいたと思います。むしろ、そっち系の人だらけと言ったほうが良いかもしれません。その迫力はその中にいないとわかりません。

やっと到着です、とにかく広い場所でした。本堂の横か裏手あたりだった気がします。一人でいるので、やや心細い気もしました。

早朝から酒を飲んでいるグループがかなりありました。

そのうち、あちこちで小競り合いが始まり、喧嘩をしてましたね。

これは、かなりヤバい所に来たなと思いましたが、まあ何とかなるだろうと思っていました。

広場には殺気立った連中が数千人はいたと思います。かなりの人が全身入れ墨だったと記憶しています。

神輿は壊れないように、三基ともさらしのような白い布を神輿の屋根の下の胴体部分をぐるぐるに巻き付けていて、異様な見た目の神輿になっています。

だいぶ待たされた後、ようやく神輿を担ぐ時間になりました。

私は最初、神輿からかなり遠くの場所にいて、こんなに大人数がいて神輿を担ぐチャンスないかもしれないと思っていました。神輿から遠く離れていても、人は密集してるんですよ。

さあ、神輿が上がりました。三社の場合は神輿に人が乗ってもOKみたく一台の神輿に何人も乗っています。

私も担ぐために神輿に近づこうとするのですが、一つの神輿めがけてあまりにも多くの人が殺到するので近づけません。近づくために、みんな周りや前の人を力づくでかき分けないと前に進みません。このかきわけて進むのも、そこらじゅう殴り合いですよ。

私もせっかく来たのですから、若さに任せて突進です。少しづつ前に進みますが、まだまだ神輿は遠くです。その神輿なんですが三基ともちょっと、上がったと思ったら大きく動いてから、傾き沈むんです、神輿が担がれていない感じがしました。

何やってるんだろう?と思いました。神輿が上がったと思ったら、すぐに下に落ちるんです。

やっと上がっても、神輿をもむまえに、一気に直線的に横や斜めに動き、また落ちるんです。

それでも、かまわず私はまわりを、かき分け神輿に近づいていきました。

そして、ついに神輿にたどり着いたのです。

やったー!神輿にたどり着き肩も入れました。

その時です神輿は方向感覚のないように動き、私の逆側に落ちたんです。

これは危ない、自分の方に落ちたら大けがをすると思いました。

ここから出ようと思ったんですが、あまりに多くの人が神輿に群がってくる圧力で出られないんです。そしてものすごい人数の圧力が神輿に加わるため、一気に圧力の大きいほうから弱い方へ神輿が動きバランスをくずして落ちるんです。

遠くから見た時は、何してるんだ何で神輿が上がったと思ったらすぐに下に沈むのか不思議でしたが、その場に来てすべてわかりました。

わかった時には万事休すです。必死で出る努力をしましたが、全く出れません。あとは自分のところに神輿が落ちないことを祈るだけです。

とにかく、周りからの凄まじい圧力で神輿が上がらないんです、上がっても一分と持たずに神輿は前に落ちたり後ろに落ちたり、左右どこにでも傾いて落ちます。

落ちた時でも神輿に群がる圧力は変わらないので出られないんです。

落ちた側の方では神輿が体に落ちるので怪我人続出です。怪我人を神輿の傍から出すのも大変で、落ちた側の人たちで必死に群衆の外に出していたと思います。

救急車のサイレンもひっきりなしに鳴っています。神輿が落ちて負傷した人が次々に運ばれてゆきます。足に落ちて血を流してる人が多かったと思います。骨折ですめば良いみたいな感じで、神輿がもろに体に落ちればアウトです。

ここは戦場か?こんなに怪我人が続出してるなんてテレビや新聞で全くやってないし。

これは勝手な推測ですが、三社の宮神輿の境内からの宮出しには素人はほとんどいなくて、かなり危ない人達だらけです。救急車も沢山待機しており次々運ばれますから、毎年のことなんでしょう。

まあ、それなりの覚悟した人たちなので、警察も大目に見ていたんでしょう。

40年以上前の話ですから、今はもっと規制されているかもしれません。

また宮出しは早朝なので、見物客も宮入と比べたら圧倒的に少なかったんじゃないかなあ。

逆に宮入は夜なので見物客もすごい人数でTVカメラも多数撮影しています。

夜の宮入は町会でやっているかもしれません、私は早朝の宮出ししか経験していないので、詳しいことはわかりません。

とにかく早朝の宮出しは町会の人などいなくて、怖そうな人だらけのカオス状態でした。

一宮の神輿は何度も何度も落ちながら、不安定に蛇行を繰り返し、やっとのことで大きな広場から、仲見世に入ってきました、ここまでくれば圧力は急速に弱まるので抜けるチャンスです。私も安堵して神輿から抜けようとした時に神輿がまたバランスをくずして大きく横に流れて神輿が店の柱か何かにぶつかったんです、私のいる側に神輿が流れたんです。

私も危うく神輿と店の間に挟まれるところでした、危機一髪で回避できました。

その時です、私の近くで担いでいた人の指が神輿の棒と柱に挟まれ、とれたんです。私はそこで神輿から離れることが出来ました。いやーこれまじ怖かったです。

救急車はひっきりなしに来て、血だらけの人がどんどん運ばれていました。

三社祭りの宮出しは命がけに近いものがあります。

噂では毎回、何人も死んでいたそうです。

この一宮の神輿は仲見世に入ってすぐに花川戸の町会に引き継がれます。ここで私は友人と会えました。

せっかくなので同じ一宮の神輿をそのまま町会の100人くらいで担いだら、なんということはない普通の神輿で、横に流れることなく、落ちることもなく、普通にかつげるんです。この宮神輿を次の町会に渡すと花川戸の町内神輿に戻ります。

一宮から三宮までの三基の神輿がそれぞれ町会で担がれ、夜に今度は境内への宮入となります。

三社の宮入は見物客も沢山います。ハイライトなので、よくテレビに映ります。

宮入も宮出しと同じような連中が担いでいるのかはわかりません。

毎年、三社祭りで夜の宮入の様子をみると、私は自分が担いだ、あの早朝の宮出しを思い出します。

今でも、あそこまで危険な宮出しをやっているのかはわかりません。

ちなみに今年の三社の宮出しは警備の都合上、氏子宮出しのみと発表されていますから、多分町会で宮出しをするのでしょうから安全だと思います。

私はあの日以来、三社の宮出しは絶対にやらないと固く心に決めました。

とにかく、危なすぎです。神田祭りは、あそこまで荒っぽくないですからね。三社の宮出しは、まじで命がけですよ。

神田生まれの私は浅草の神輿に命を預けるわけにはいきやせんので。

まあ何事も経験ですけど、三社の宮出しにくるかなり人はそっち系の方だとは神社に着くまでは知りませんでした、私は何もわからず一人で乗り込みましたからね、友達には危険だからやめとけと言われたけど、大丈夫だろう、いっちゃえみたいな感じでしたね、若気の至りですかね。

若さってって怖いですよね、怖いもの知らずで何も考えずに突っ走るわけですから、今はどうかって?石橋を叩いて壊してます。