ムットン調査団211(58、部下を叱った話)

各位

さて今回は16年前に私が、課長時代の部下に関係する話です。その部下は(仮称)山藤さんと言う女性の係長で研修などの人材育成の担当をしており、しっかりと仕事をする職員でした。

今、山藤さんは部の庶務担当課長としてバリバリ仕事をしています。

そんな山藤さんが私の部下だった当時、山藤さんの友達のKさんに突然言われた話を思い出したので書きます。

Kさんについては顔は知っていたし、会えば挨拶をするような感じだったと思います。

当時私はKさんと廊下で偶然出くわしたんです、その時にKさんは私に「課長ひどいじゃないですか、あんな優秀な山藤さんに仕事が遅いと、しかったみたいですね、山藤さんは課長に仕事が遅いと𠮟られたとショックだったみたですよ。私は山藤と一緒に仕事をしたことがありますが、彼女は仕事は早いし、すごく出来るんで尊敬していたのに、そんな山藤さんの仕事の仕方が遅いと言うんなら、私なんかもう遅すぎて仕事なんか全く出来てない事になります。課長ひどすぎです」と言われたんです。

突然、すごい剣幕で一気に抗議のような話をされたので私もびっくりしました。

その話をKさんに言われた時に私には思い当たるふしがないんです。何を私は言ったんだろうか。どの件なのか考えたけど、やはりわかんなかったんです。

自分なりの推測をすると、例えば何か締め切りがあり、研修計画の作成を頼んでいたとして、締め切りが近づいてきて状況を聞いた時に。「これじゃ間に合わない、仕事のペースをもっと速めてくれ」くらい言ったのかな。

この話をずっと覚えているのは、自分には山藤さんをしかった記憶がなくても、相手は仕事が遅いと叱られ、ショックを受けると言う事です。

上司のひと言は時に自分が思っているより、ずっと重たいということです。これ以降、部下を指導する時は相手は今、どう思っているんだろうと今まで以上に慎重になりました。

部下の指導育成とは、かくも難しいものだと感じた一件でした。

この件は私の心の中にとどめ、自分への戒めのようにしていました。

でも、あの時から15年以上も時が立ったので、もう時効だと思い山藤さんに当時、私に何を言われて、そこまでショックを受けたのか聞いてみようと思いました。

私は、真相を探るべく時間外に山藤さんに電話して聞いてみました。でも山藤さんは「全く覚えてない」との事でした。これでは、何だかさっぱりなので、もう少し思い出して欲しいと頼みました。

すると山藤さんは「もしかしたらブロックの研修担当の飲み会で、私に準備不足だと言われたから、それじゃないかな、当時研修の仕事でめいっぱいで飲み会の準備が出来ずに、当日の飲み会はグダグダになってしまった」との事

だとすると、私の山藤さんへの注意は飲み会の段取りの事だったのか?

15年近く前の話なので真実はわかりません。今日まで自分への戒めとしてきたので、この話は自分の想像のままにしておきます。

そこで、もう一人の当事者Kさんは覚えているだろうかと思っていたら、なんと、偶然エレベーターでKさんと二人になったのです。

ここは話を聞くチャンスです、エレベータを降りたあと、この話を覚えていますか?と聞いてみました。

Kさんは「えっ、何も覚えていません。やだ私、部長にそんな失礼な事、言ったんですか?

ごめんなさい。もしかしたら当時は怖いもの知らずだったのかもしれません。あの当時の人事課長に部下の指導方法を説教するなんて」と大変恐縮していたので、「気にしないで欲しい、またこの件は自分が思っている事と、部下が思っている事が全然違うことがあることを知ったので、その後の教訓になったので、むしろ良かった」と言いました。

Kさんは、「その話は当時山藤さんに言ったのですか」と聞いてきたので「つい最近、山藤さんに初めて言いました、また山藤さんも全く覚えてない」ことも伝えました。

するとKさんが「言わないでいてくれたんですね、良かった。助かりました。それにしても、その話すごく恥ずかしい、本当にごめんなさい」と何度も恐縮しながらも言うので、本当に気にしてません、昔話ですよ、伝え最後はお互いに笑っていたので、めでたしめでたし。

山藤さんもKさんも完全に忘れていて、私だけがずっと覚えていたんですね。

と言うことは、私が受けた衝撃が一番大きかったんですかねえ。

きっと皆さんも自分は覚えていて、相手は忘れていること沢山あるはずですし、その逆も沢山あると思います。

自分が何気なく言った一言が人を傷つけることがあるんです、言葉は凶器にもなりえると言うことです。人を殺すのに武器はいらない言葉だけで我々は立ち直れなくなります。

でも、逆に言葉一つで勇気をもらい生きる意味を見つけることもあります。

大人になったら自分の言葉に責任を持てと言われたのは、こういう意味だったんですかね。

私は自分の言葉に責任を持てる大人になれたんだろうか。

青年、壮年もすぎ、まもなく中年も終わろうとしており、後は老いてゆくだけなのに、心は大人になりきれなかったような気がする。

時に権力者に逆らい続けていたのは、信念ゆえだったのか、それとも心がガキのままだったので単なる反抗心だったのか、自分でもわからない。

何にあがらい続けていたんだろう。青臭い正義を唱えてみても周りがみんな長い物には巻かれてしまい、何が正義かさえわからなくなる。

そんな中で一人、正義を貫きたくて自分自身と戦っていたのかもしれない。

「もっと大人になれよ」と自分自身に言って苦笑いをしていたあの頃の俺

まあ、それでも今日まで何とか生きてこれたんだから、これでも良しとするかな

自分らしく生きるとは、どういうことなんだろう。生き方に正解なんてあるんだろうか。

まあ、みんな迷い続けながら、模索をし、悩み、考え必死に生きているんだよね、それが生きるということなんですよね 団長。