ムットン調査団225(95、メッテルニヒ会)

各位

私は役所に入ってから、私的な会をいくつか作りました。ほとんどは飲み会をするための会です。みなさんも、そんな会に入っているでしょう。

そんな中で役所に入ってから一番最初に作ったのが教育委員会のある課の有志のメンバーで作った会です。会の名前は何にしようか考えた結果、メッテルニヒ会と命名しました。

何だこの名前はと思いますよね。

説明します。私がその課に配属された時に私より以前にその課にいた職員達で、OBも含めて男だけの会で「野郎会」という会がありました。何ともむさくるしい会の名前です。

そこで私は今いるメンバーで新しく会を作り、もっと洗練された名前にしようと思ったわけです。皆さんは「会議は踊る、されど進まず」という言葉はご存知ですか?

映画にもなったのですが、世界史を選択した貴方ならわかりますね、日本史で例えるなら小田原評定みたいな、少し違いますが。

ナポレオンが起こした戦後処理のためにヨーロッパの代表がウイーンに集まり会議を開いたのですが、まさに会議は踊るで一向に終わらなかったのです。

つまり永遠に終わらない会議がウイーン会議なら、私たちの会もウイーン会議のように終わらない会にしたいと思ったのです。

そしてこのウイーン会議を主催したのがオーストリア外相(のちに首相になります)のメッテルニヒです。その会議を主催したメッテルニヒの名前をつければ、この会は完璧だと思い会の名前はメッテルニヒ会と名付けました。

しかし、会のメンバーですら名前をなかなか覚えないし、変わった会の名前なので、周りからはどうしてこの名前なのか聞かれます。名前の由来をいちいち説明するのも面倒くさいので、会の名前はあまり表に出さなくなりました。そしてこの会も私の異動で消滅しました。

私が役所に入って初めて名前をつけた会なので私だけは絶対忘れません。

さて、この会の中に(仮称)南さんという若い職員がいました。南さんは、すでに定年よりだいぶ前に課長で退職をしているので今はどうしているのかわかりません。

この南さん、私の経験した大事件の中の一つでいずれまた登場します。この事件は私が退職寸前まで追い込まれた事件でしたので、書く時は連載になります。今回はその事件とは全く関係のない話です。

南さんは大手証券会社を辞めて区役所に入り最初住民記録係に配属されました。

前に山一証券が倒産した年に入社したK課長とは別の人です。

その頃、私は出張所にいて、仕事でよく区役所の住民記録係と連絡を取り合っていたんですが、その時の南さんの電話口での対応が横柄極まりなかったですね。

電話中でも、私としゃべっている最中でも、「これ以上話しても無駄なので、もう電話きるよ。」ガチャ。

まじ、ムカつくことが度々あり、どんな奴か役所に用がある時に見に行きました。

仮称・金田さん(後の金田参事)に「南ってどいつ?どんな奴?」と聞くと

「あそこに座ってる奴だよ」・・・見た目は想像より若かった

とりあえず、むかつく野郎の顔を頭にたたきこみました。

その後も、お互い電話で何度かぶつかったので、お互いに嫌な野郎だと思っていました。

そんな時、仮称・立山さん(部長を経験しすでに退職)からSKIに誘われたので、OKだしたら立山さんが「大〇さんの天敵、南もきますよ」と楽しそうに言うんです・・立山さん性格悪いよ

あの、南がくるなら行きたくないと思ったけど、今さら行くのを止めると言ったら南から逃げるみたいなので、ここは意地でも参加

SKIは夜、夜行バスで行く予定でした、すると当日の昼間に立山さんから「大〇さん南は38度の熱があって、今日役所休んでます。SKI来られないそうです、天敵が来なくて良かったですね」と電話がありました。

これでSKIも楽しめるとスッキリした気分で待ち合わせ場所に行くと、あの南がいるではないですか。

南は「いやー熱が出て大変だったんだよ」と他の職員と楽しそうに話ながら笑っています。

普通はそういう時には来ないのが常識だろ、くそ、嫌な奴

その後、バスの中、到着した宿の中で私と南はお互いに避けていました。

何日目のSKI場だったか覚えてませんが、リフトに乗る時に小さな事が起こったんです。リフトに乗る時って、長い列ができます。その時に割り込まれないようにSKIの板を空いたスペースにすぐに入れていきます。何しろ当時はSKIブームですから、どこもすごい混雑です。そんな中ペアリフトに並ぶ時も私と南はお互い一緒にならないよう距離を保ち各々他の職員とリフトに乗っていたんですが、何でああなったのか今だにわからないんだけど、そのリフトにまさに乗る時、両側から押し出されたのか、リフトの前にいるのは私と南の二人になったんです。えー最悪、この状態では後ろの人にも変わってもらえないし。

お互いに嫌っていて、お互いに避けていて口もきかない二人がペアリフトに乗るとどうなると思います。

これが、また不思議なんです。私からか、南から先かは覚えてないのですが、世間話を始めたんですよ、内容は覚えてませんが「ところで世間を騒がせているあの事件ですが、どう思う?」みたいな。多分、お互いにリフトが着くまで、どうでもいい世間話を実に紳士的にずっと話していたんです。

いくら話しても、なかなか着かないような長い時間でした。どうでもいいような話をお互いにひねり出して無言になるのを避けたんでしょう。リフトを降りた二人はこの旅行でその後、一言も口をきいていません。

そして何年もの時が過ぎた時、南が私がいた教育委員会の同じ課に異動で来ると内示が出たんです。内示を見た時、頭がくらくらしました。あいつが来るのかよ、もう私は戦闘モードでしたね。

異動当初はお互いに、ほとんど口をきいていませんでしたが、ただ同じ係でしたから仕事上で話をしないわけにはいきません。

日々、少しづつ話をしていくうちに二人のわだかまりは自然と溶けていったのです。

不思議なもんですよね、お互いに嫌っていたのに仲良くなるんですから。

実際、一緒に仕事をすると彼はまた違う顔をみせ、課の大半は一つにまとまりました。

まあチームみたいな感じです。チームでよく飲みました、飲む場所も嗜好を凝らしたような場所を見つけて飲んだり、テニスやボーリングもしました。SKI旅行にも何回もチームで行きました。このチームは最高でした。

そうです、チームの名は私がつけたメッテルニヒ会です。

んじゃ またね