ムットン調査団227(100、百回記念)

議会は第三回定例会が終わったと思ったら、もう第四回定例会が始まっています。

本当に第三回と四回は近いですよね。四定が終わると、アッと言う間に仕事納めになって正月です。一年が過ぎるのは早いと毎年実感するのが、この時期です。

さて、今回は昨年の夏に100回記念で書いた文章です、結構長い文章だったので一部は省略して短くしました。

各位

じゃーん、ムットン調査団報告も今回で100回となりました。

石の上にも三年、桃栗三年柿八年みたいなもんですかねえ、ん?ちと違いますね。

K課長が100回目の節目なので、いつもとは違ったものにしてくださいと要望がありました。いきなり言われても何を書けばいいのやら。

特に100回目だからと言って特別に書くことはないんだよなー

だったら、まずはKさんとの対談を乗せよう、テーマは人生にしましょう、

*ここでKさんとの対談を載せていたのですが、長くなるので省略します。

Kさんからは、人生は過ぎてみなければわかりません。なるべく穏やかな人生が過ごせることを願っているとのことでした。なおKさんからは箱根駅伝で立教もいつかは優勝するのでご声援お願いしますと言っていました。

さて、次は何を書こうかなあ、こまった時は団長に相談するのが一番です。

団長は挨拶なら、まかせろと言ってくれました。さすがです、頼りになる団長です。

では、団長に100回目の祝いの挨拶を頂くことにしました。

「ムットン調査団員諸君、団長である。100回という事にこだわる必要はありません。前回が99回で次回が101回という数字の流れの中の一つにすぎません。私はこの流れる数字のリズムが好きなんです。まあ、要するに二つの整数の最大公約数を求めるユーグリット互除法のアルゴリズムのようなものです。ショパンの調べが頭の中で踊っているようじゃありませんか。まるでショパンの幻想即興曲が私を誘っているような感じです」

団長、何を言っているのかわかりません、もう少し我々庶民にもわかる話にしてください。

「要するに100回など大したことではないという事だ。浜松北高校は1894年に設立され、今年で創立128年を迎えている。創立100周年記念はあったが、我が浜北は200年、300年と未来永劫輝き続けるのである。100年などは一つの通過点に過ぎない。我がムットン調査団も浜松北と同じように未来に向かって輝くように団員一同、力を合わせて私のために頑張ってください。私を腹黒い人間だと思っているかもしれませんが、黒いのはいつもピカピカに染めている髪だけです。私はいつも言っているように、強気を助け弱気をくじく心優しいお兄さんなのです。困った時は隣にいるお兄ちゃんだと思って何でも相談してくださいね、人生相談は一時間5千円です、法律相談が加わる場合は一時間一万円、DXの相談については最近始めたばかりなので価格は要相談とします。恋愛相談は苦手なのでいたしません。では皆さんからの多くの相談をお待ちしています、今なら早割で時間単価を千円安くしておきます。以上」

さすがです団長、何と凛々しく、格調高い挨拶なんでしょう。誰にもまねの出来ないまねー愛にあふれた挨拶でした。女性陣はもうメロメロ、走れメロス状態です。

また、〇田君が何か言いたいようですが、米〇君が止めています。

そう言えば、このまえ財政課のある団員と話をした時に、〇田君は誰だかわかるけど米〇君は誰だか、わからないと言っていました。へーびっくりです。米〇君は一体誰なのか楽しみですね~。

おっと、米〇君が〇田君に何か言っていますよ。

米〇君「〇田君はまた団長に文句を言おうとしたよね、だけど今回はやめておいたほうがいいよ、せっかくの100回記念演説だったんだから」

〇田君「だまれ米〇、いつもいつも、良い子づらしやがって、虫唾が走るぜ、浜松北が何だってんだ、冗談じゃないぜ。」

米〇君「〇田君、君がいつも自慢している相模原高校は1963年設立だよ、浜松北と比べたら、まだまだ新設校みたいなもんだよ」

〇田君「うるさい米〇、お前の高校だって浜松北にはかなわないんだろ、お互い、目くそ鼻くそなんだよ」

米〇君「君はショックを受けるかもしれないけど、僕の母校は1888年創立で浜松北より歴史があるんだよ、東京府立第一高等女学校として設立され戦前から名門女子高としてその名を全国に馳せたんだよ。浅草の一女と呼ばれ小石川の二女(現都立竹早)麻布の三女(現都立駒場)と並び称されたナンバースクールで昭和25年に現在の校名になり共学になったんだよ、だから君の学校は僕の母校からみたら赤子のようなもんだよ」

〇田君「だまれ、だまれ言わせておけば、ふざけんじゃないぞ。お前の学校は元は女子高じゃないか、我が神奈川県立相模原高等学校は男女共学で設立されたんだ、創立以来常に男女平等、で互いを尊重する校風の中で俺は育ったんだ、へなちょこなお前とはわけが違うんだ、わかったか米〇」

米〇君「〇田君、互いの性を尊重し男女平等の精神なんてすばらしいじゃないか、まさにムットン調査団の理念と同じだよ、お互いに切磋琢磨して頑張ろうよ」

〇田君「おう、何だかお前に褒められると調子が狂うなあ、まあ今回はめでたい100回記念だから、おとなしくしているけど今度はそうはいかねえからな」

米〇君「いいよ、〇田君それでこそ君だ、君からの挑戦楽しみにしているよ」

〇田君「お前の化けの皮、いつかはがしてやるかな。まってろよ」

やはり二人は本当に仲が良いですね、まるで同期みたいですね、おっといけねえ口がすべった。大丈夫です団長は〇田君も米〇君も誰かわかっていませんから。

次の祝辞は久しぶりの藤枝東のXさんです。

Xさん「100回記念おめでとうございます。でも団長、静岡は浜北だけじゃないんですよ、藤枝東は1923年設立、創立100周年を迎えたばかりです、藤枝東を忘れないようにお願いします、サッカーなら浜北に負けませんわよ。私は照れ屋だから名前は ひ み つ です。」でもヒントを一つだけ言います、私はムットン調査団ができる何年も前にワッダン調査団を結成したことがありました。

次は千代田区側用人柳沢吉保と言われたSさんにメッセーを頂きましょう

「私は今、黒子のような存在で区政に係っていますのでノーコメントです、今は側用人のような仕事ではなく、まあ森蘭丸的な感じです。いざ鎌倉となれば、松戸から九段下を通り越して鶴岡八幡宮にいくでござる。ははは」

うーん、本当の鎌倉に行ってどうするのでしょうか、まあ千代田の大久保彦左衛門というところでしょうか。はげて、ますます盛んといったところでしょうか、あっ老いてですね、そんな間違いを気にするような心の狭い男ではありません、いよっSちゃん。

では最後に団長派と安田大サーカスの幹事長という要職にあるYさんにご挨拶をもらい、バシッと締めてもらいましょう。

「えー、みなさんこの度は100回記念おめでとうございます。ムットン調査団は私、Yをはじめとして現、元あわせて4人の人事課長が入団しております。しかし、皆さんの相談には乗りますが、えこひいきはしませんよ、人事は常に公明正大、非武装中立、先手必勝、ザビエル会万歳の精神で行っています。これからも常に探求心を忘れずに日々精進してまいります。みなさんも、いわゆる、ひとつの、まあ何と言いますか、要はですね努力してください、人事は水物です」

Yさんありがとうございます、元人事の鬼と言われ、公務員人生を人事一筋に捧げたYさんならではの挨拶でした。Yさんは最後に「立教の箱根駅伝制覇は100年早い。来年は駒沢を倒し青学の時代を取り戻す」と怪気炎をあげていました。

まだまだ沢山の祝辞が届いていますが紹介しきれないので、多くのメッセージを一週間くらいは掲示板に貼って告示の代わりといたします。うそぴょん

なんとか100回記念を書くことが出来ました。んじゃ、またねー