ムットン調査団228、一発逆転上山君

各位

人生とは何が成功で何が失敗だったのかは、簡単にはわかりません。

今回、紹介する高校時代の同級生(仮称)上山君もダメだったことが、結果として良かったという典型的な話です。

上山君とは三年の時、クラスの中で席が私の横になりました。

上山は色が白くて、髪はやや茶色がかっており天然パーマがかかっており長めにしていた。顔の彫りが深く輪郭もシャープで端正な顔立ちをしていた。もし彼が早実ではなく、都立などの共学だったら、かなりもてたと思うのだが。

男子校の早実では自分から外に探さなければ彼女は出来ない、上山君タイプは真面目なオタクタイプなので高校時代には、彼女はまず出来ることはない。

上山君は大人しい性格で、大きな声ではしゃいだりしたのを高校時代に一度も見たことがありませんでした。

そんな彼には夢中になっている趣味が一つあった。それは漫画をセルロイドのようなものに書くこと、宇宙戦艦ヤマトなんかをよく書いていましたね。彼と同じような漫画オタクが3人くらい集まって、セルロイドに漫画を書いていました。私は上山君と席が隣なので書いたものは、私も見せてもらっていましたが、まあ素人が戦艦大和の絵を真似して書いてるレベルなので、まあ特にうまいわけでもなかったという印象ですかね。

当時の私の感覚では、こんな塗り絵みたいな事してて面白いのかなあ程度です。

漫画オタクだと、こういう事をするのかなあ、くらいに思っていました。

趣味の話から変わりますが、高校3年当時、彼はよく鼻血を出していたんです。

しかも毎回血が止まらないのでタオルが血だらけになり、よく早退をしていました。色白で痩せていて鼻血が止まらない、これは何か重大な病気を抱えていて死んでしまうのではと私はかなり心配していました。

女性でも色白で痩せている美少女が死んでしまうような映画ってあるじゃないですか、薄幸の美人みたいな。彼はそんな雰囲気が漂っていました。

私は彼に恋なんかしていませんよ、男性に対してそういう感情はないので。

話がそれたので、また戻しますね。

高校三年の冬、上山君は大学の推薦では、俺より厳しい状態に追い込まれていたんです。

彼の場合は教育学部、社会科学部もダメで二文がかろうじて引っ掛かるかどうかの瀬戸際でした。

当時の早実は受験指導など皆無だったので早稲田大学に入れなかったものは、ゼロからの受験勉強となり、高校の3年間で完全に馬鹿になっちまった早実生はかなり過酷な状況に追い込まれます。

早実に入れた実力なら明治や立教の付属には当然入れたのだが、早稲田に入るために早実に入学したのに、早稲田への推薦は出来ませんと最終結果が示されるのは1月中旬です。

これは、ひどいですよ。大学受験の申し込みが、かなり終わってる頃に推薦の最終決定を出すんですから。

3年間、早実で放任状態にされた生徒が、そこから受験戦線に参加しても現役ではマーチクラスはほぼ全滅します。

一浪すると時々意地をみせて、頑張る奴がいます。私の友達の中にも理工学部に行けなくて一浪して旧帝大理工学部に入った奴もいます。

また、3年の時、同じクラスにいた(仮称)吉見のことはよく覚えています。彼は遊び人でそこら中の女子高生と付き合っていたと思います。そんな吉見が社学、教育の二文の推薦を蹴った時はびっくりしました。

3年間遊びまくっていたのに、こいつ勇者だなと思ってたら翌年受験で法学部に合格したんですよ、これは当時ちょっとショックでしたね。俺も推薦けとばして受験すればよかったと、でも俺にはその勇気はなかった。そのことを当時すごく後悔したことを覚えています。

まあ吉見のような遊び人から、上山君のようなオタクまで誰とでも仲良くなれるのは私の特性でした。

私は小学校から、ずっとなんですがクラスの一番おとなしいグループにも、一番やかましいグループにも入っていた。

どっちが自分かは、わかりません。多分どちらも自分、どちらも自分ではないのかもしれません。自分が何者かは未だにわかりません。

みんな、そうして死ぬまで自分探しをしているのかもしれませんね。

またまた話しがそれました。上山君は何としても最後の砦、二文に行きたくて祈るような感じでした。私も何とか入ってくれと同じ気持ちでした。二文もタモリ吉永小百合大滝詠一など社学と並び最も早稲田らしい学部と言われていました。

ただし、早実生は文系の場合政治経済学部、法学部、商学部までに入れれば文句なくOK。次に教育学部の地歴もまあギリOK。文学部、教育,社学までは泣く泣く入学しますが、第二文学部だと推薦を断る生徒が結構いたので、上山君はギリギリの状態で担任からも、もう少し待ってくれと言われていました。私は上山君は二文に行けるものだと思っていましたし、上山君も二文への合格はぎりぎりで滑り込めるだろうと思って待っていたんです。でも、散々待たされて結局、二文への推薦は駄目だと告げられ、失意の中で過酷な受験戦線に放り込まれたんです。いやあ可哀そうでしたよ、上山君はかなりショックだった感じでしたから。

担任も期待をもたせるような話しをしていましたから。多分、最後の一席を争ってたんだと思います。

卒業した後は上山君には特に連絡を取っていなかったんですが、受験の季節になり上山君はどうしているんだろうと気になっていました。

すると、なんと、なんと芸大の美術に合格したと連絡がありました。

セルロイドの上に宇宙戦艦ヤマトの絵を描いていただけなのに芸大に受かるなんて全く想像だにしていませんでした。美術の道に進むなんて一度も聞いていなかったし。

早稲田の推薦が駄目になり高校卒業してから急遽芸大目指して、すぐ合格、やるねえ。

それにしても、あいつそんな才能あったんだ、あの時ぎりぎり二文に入っていたら上山は美術の道には進んでいなかったと思う。

芸大卒業後に彼が個展を開くと招待状が来たので銀座など何回か見にいきました。

今日まで美術の道で生きています、好きな道で生きてこられた上山は早稲田に推薦されないことが幸せにつながったんでしょう。

「禍を転じて福と為す」ですかね。